私は、2014年の春にアメリカから帰国して、国立遺伝学研究所で助教として4年、北海道大学で講師として2年、そして京都大学で准教授としておよそ5年、合計10年以上に渡って日本のアカデミアでのキャリアを重ねてきた。これら国立大学の教員としてのポストは全て5年期限の任期付きポストだった。基本的に同じ場所での昇進は無いし、何もせずに次のポストが決まることはないので、失職せずに研究を続けるためには現在の任期が終わる前に公募が出ているポストに応募して、次の新しいポジションを勝ち取る必要があり、最終的には自分の研究室を持つことができる独立ポジション(一般的には教授)が目標となる。国立大学の独立ポジションの公募は相当な競争率になるので、当然高いレベルでの研究活動や多くの研究費獲得といった実績を持っていないと話にならない(ちなみに、公募に見せかけた出来レースのこともあるけど、出来レースの勝者に指名してもらうには、その場所で政治力を持つ“エライ”先生の寵愛を受けていないといけない)。しかし、研究というのは時間がかかるものだ。分野にもよるが、大きな発見や重要なコンセプトを論文として発表しようとすると、たいがい5年以上はかかる。つまり、失職しないためには研究実績を上げて就職活動をしないといけないのだが、5年という短い期間では落ち着いてじっくり研究ができないというジレンマがある。しかも大学教員としては、研究以外にも授業や教育、大学や学部の運営に関わる仕事、さらには学術振興会の審査員とか学術雑誌の編集や査読にも参加しないといけない。あまりにも時間が足りないと感じる。
まぁ、大学で研究者として高いレベルの研究を続けるのが大変なのは、多かれ少なかれどこの国でも同じだと思う。こういうシステムは国によって違うものだし、日本の国立大学は「教授以外は任期付きポストで、昇格には移動が必要なシステム」ということだ。探せば似たようなシステムは他の国にもあるだろう。しかし、日本のこのシステムについて海外の研究者が皆だいたい驚くのは、これらの任期付きポストに大学からスタートアップの資金がほとんど支給されないということだ。独立ポジションであれば一応スタートアップはあるが、それも大した金額ではないことがほとんどだ。「研究費は自分で持ってきて下さい。そして必ず5年で出て行ってください。」という、なかなか非情なシステムだと思う。ちなみに京大では研究のための学内ファンドがいくつかあり、自分もこういうものに支援してもらったが、学内とはいえ全て競争的資金なので、実際には少数の人しかもらうことができない。所属する講座で、部屋付き親方のような形で間借りして研究するうちはスタートアップは必要ないだろう、ということなんだろうが、それだとやはりラボのスペースに問題があったり、学生を取るのに難があったり、教授との上下関係が鬱陶しかったり、と色々な問題がある。大学にとっては、このシステムは金がかからなくて良いだろうと思うかも知れない。しかし長い目で見ると絶対に良くないと自分は考えている。この10年間、日本の大学で研究者としてやってきた経験、周りのたくさんの同世代の研究者と話してきて得た感覚、様々なことをもとに考え合わせた上で思うことだ。このシステムでは、大学と研究者の間に良い関係が生まれない。
アメリカの大学の研究者が、自分のいる大学や所属する学部への愛や感謝、そして同じ学部の教員への賞賛の言葉などを口にしているのを見聞きすることが多いと感じるのは自分だけではないと思う。一方で、日本の大学にいる同世代の研究者から、そのような言葉はまぁほとんど聞いたことがないし、逆に聞こえてくるのは大学や学部への不平不満、年長の教授とかに対する悪口みたいなものがほとんどだ。スタートアップがないので研究費をかき集めてくる必要があり、その申請書や報告書に追われ、一生懸命教育活動をして大学運営にも参加させられ、事務方には毎日のようにどうでも良い細かいことを指摘されてその対応に追われ、そんな中でがんばっていくら素晴らしい研究をしていたとしても期限が来たらあっさり放り出されるわけだから、当然と言えば当然か。
アメリカの大学にはテニュアトラックというシステムがある。テニュアトラックでは、大学が新任教員に対して研究室のスタートアップとして大きな額の投資をする。採用された研究者は、そのスタートアップを元手に研究教育活動を行い、数年後の審査に合格すれば大学教員としての終身在職権、いわゆるテニュアを獲得することができる。新任教員へのスタートアップは大学としては大きな額の出費となるが、将来的にはその初期投資額以上のものを回収できることを見越してやっている。高いレベルの研究と良い教育ができる研究者を採用すれば、その人は外部資金を取ってきてその分の間接経費が大学に入る。高いレベルの研究成果が世に出れば、世界中の学生や研究者がその大学を目指して集まることになり、大学経営をさらに後押しするだろう。まぁだからこそアメリカの大学教員の公募は、世界中の応募者から適切な人物を選ぶために、ものすごく真剣な選考が行われている。研究者の側から見ると、大学からしっかりとした投資をしてもらって、テニュアトラックがうまく行くように周りの教員から色々とサポートをしてもらうという経験を通して育つと、やはりその大学や学部に恩を感じるし帰属意識が高まるだろう。日本の今のシステムでは、多くの任期付き教員達に愛校心や帰属意識どころか、逆に使い捨てにされたという悲しい気持ちと疲弊感が残る。大学への悲しみとか恨みみたいな感情を持って疲弊した大学教員をたくさん生み出してしまうシステムが大学教育、ひいては国にとって良いわけがない。
じゃあどうすれば良いのか?日本もアメリカみたいなテニュアトラックシステムにしたら良いのかというと、必ずしもそうではないだろう。そもそもお金がない今の日本の国立大学にはできないし、なんやかんや続いている講座制は、昔からこの国にあるヒエラルキーを持った村社会で和を重んじる文化に合っているのかも知れない。しかし、文科省はもっと真剣にこういう現状を見て国立大学の経営への支援を考えるべきだと思うし、大学の経営陣ももっと真剣に大学にとって一番大切な研究者達の現状と向き合うべきだと思う。最近、他の先進諸国に比べて日本の大学の研究力が伸び悩んでいることについてのニュースを頻繁に目にするようになったけど、自分はこの10年間肌で感じてきた同世代研究者の疲弊にその原因の一つが見えている。
もう一つ、日本の大学には定年退職制度があることもアメリカの大学へ行こうと思った理由の一つ。アメリカの大学でテニュアを取得すると強制的な定年はなく、リタイアのタイミングは自分の意思に任せられる。自分が今の日本の定年の65歳になる頃に、どれぐらい研究や教育に対するモチベーションとアクティビティが維持されているかはちょっと分からないけど、研究者にとって65歳でのリタイアは早いのではないかと感じるし、そもそも研究者個人個人のキャリアは様々なので、みんな一緒に65歳というのはどう考えてもおかしいだろう。多様なキャリアパスを認めるべきだ。アメリカでは雇用における年齢差別が禁止されているので、そもそも公募の際に年齢を聞くことはない。
ということで、私がアメリカの大学へ行くことを決断した理由の一つは、こういう日本の大学の現状にある。この10年間、自分はそれなりに研究費が取れて自分の研究をすることができたし、なんとかポジションも途切れることなく繋いできたし、たくさんの大切な友人や共同研究者と知り合うことができたけど、安定したポストが得られず落ち着いて研究ができないことに疲れてしまった。まぁ他にも、アメリカの大学の雰囲気が好きだったということもあるし、娘がすでにアメリカの大学に入学したことが決断を後押ししてくれたということもある。今後はアメリカのアカデミアで様々な問題に対峙していくことになる訳だけど、これからも日本の研究者の方々とは関係を続けていきたいし、日本人として今後の日本のアカデミアの動向も気になる。日本とアメリカの両方で大学教員としてのキャリアを経験する人はそれほど多くはないと思うので、今後自分の経験が何か日本の大学に貢献できることがあれば積極的に関わっていきたいと思う。