2024年11月21日木曜日
北の富士
なんと、北の富士さんが亡くなられたとのニュース。いつになったら大相撲中継の解説に戻ってきてくれるんだろうと思っていのだけど、残念だ。。。残念だけど、今場所もやっぱり相撲は面白い。豊昇龍がずいぶんと安定しているけど、隆の勝の勢いもすごい。ということで、終盤戦どうなることやら。
2024年11月14日木曜日
九州場所
今場所は、自分にとっては日本で観戦できる最後の大相撲。ゆっくり全部見たいのだけど、なかなかそういう訳にもいかず、夜に取組動画をチェック。でもやっぱり相撲って、取り組みまでのあのまったりとした時間があってこそ、だんだんと緊張感のある雰囲気が高まっていくもんよね。ともあれ、今場所は豊昇龍の調子が良くて楽しみ。
九州場所といえば、今年の分子生物学会は福岡での開催。自分は最終日夕方のシンポジウム「倍数性変化の機構とその意義」で登壇する予定。ということで、今日出張申請をしてホテルを探したのだけど、どのホテルもえらい高い。大学の宿泊規定額(¥13,000/1泊)では収まらないので、今回も立替払い実費請求。規定額、もっと上げなあきませんなぁ。
2024年11月11日月曜日
2024年11月9日土曜日
生命の相互扶助論
生化学会で I さんと一緒に企画したシンポジウム「生命の相互扶助論」は、昨日無事終了。会場はそれほど大きくなかったものの、開始時に自分が挨拶を始めた時にはほぼ満員で、後ろの入り口付近には立ち見の方々も見えた。イントロでは、クロポトキン → 無政府共産主義 → ダーウィニズム → 自然選択と適者生存 → 帝国主義と資本主義 → 相互扶助論 → 細胞性粘菌 → 協調性の進化、といった流れでコンセプトを分かりやすく話してみたつもりなのだが、どうだっただろう。今回、スピーカーは自分を含めて4人。自分は始めの挨拶のあと続けてそのままトークをしたので、その後は司会をしながら3人のトークを存分に楽しむことができたし、終了後何人かの方から、とても面白かったという感想を聞けたので、まぁとりあえずは成功と言えるでしょう。それにしてもやっぱり N さんのトークはすごい。あれだけ何度も大きな笑いが起こるサイエンストークは他で見たことがないし、しかも意外と要所要所でかなり教育的に素晴らしいことを言っていた。聞いていて思ったのだけど、N さんのトークは話の内容とかしゃべり方のトーンが前日の飲み会でのそれと全く一緒なのだ。
ともあれ、I さんと始めたこのプロジェクトは、これまで散々ふたりで話してきて、まず初めの研究費も取ってきた訳だけど、こうして公の場で人を集めて議論したことでようやく少し形になり始めた感がある。
2024年11月6日水曜日
Yokohama
今日からパシフィコで開催されている日本生化学会大会に出席するために横浜に来た。今回は3日目(金曜日)の午後に、同じ京大の I さんと一緒にオーガナイザーとして、以下のシンポジウムを開催する予定。I さんと始めた新しい試み、そしてなんと、トリはダートマスの仲間、微生物学の N さん!色々と面白い話が聞けるはずなので、たくさんの人に見に来てもらえればと思う。
生命の相互扶助論:不均一性から生まれる協調性の進化
11月8日(金)13:35~15:35
第12会場(G317)
2024年11月2日土曜日
Why do you come here?
こないだULLでBiologyの新任教員達と話した時、テーブルについてまず聞かれたのが、「Why do you come here?」という質問だった。まぁそりゃそうだろう。当然彼女達も、Kyoto Universityが日本でもトップランクの研究大学であることを知っていて、そこで既にAssociate Professorとして研究グループを持っている人が、なぜわざわざルイジアナに移動して来る必要があるの?ということだ。ということで、その理由をクリアーにするためには、海外の研究者達が知らない日本の大学のシステム、そのシステムで疲弊している日本の研究者達の現状を話す必要があった。この話は、私がアメリカの大学へ行くことを選んだ理由というだけでなく、研究者以外の方々にも日本の大学、特に国立大学における研究について考えてもらえる機会になるかも知れないので、ここでも少し説明しておこうと思う。一応、これは私の経験に基づいた私自身の見解である。
私は、2014年の春にアメリカから帰国して、国立遺伝学研究所で助教として4年、北海道大学で講師として2年、そして京都大学で准教授としておよそ5年、合計10年以上に渡って日本のアカデミアでのキャリアを重ねてきた。これら国立大学の教員としてのポストは全て5年期限の任期付きポストだった。基本的に同じ場所での昇進は無いし、何もせずに次のポストが決まることはないので、失職せずに研究を続けるためには現在の任期が終わる前に公募が出ているポストに応募して、次の新しいポジションを勝ち取る必要があり、最終的には自分の研究室を持つことができる独立ポジション(一般的には教授)が目標となる。国立大学の独立ポジションの公募は相当な競争率になるので、当然高いレベルでの研究活動や多くの研究費獲得といった実績を持っていないと話にならない(ちなみに、公募に見せかけた出来レースのこともあるけど、出来レースの勝者に指名してもらうには、その場所で政治力を持つ“エライ”先生の寵愛を受けていないといけない)。しかし、研究というのは時間がかかるものだ。分野にもよるが、大きな発見や重要なコンセプトを論文として発表しようとすると、たいがい5年以上はかかる。つまり、失職しないためには研究実績を上げて就職活動をしないといけないのだが、5年という短い期間では落ち着いてじっくり研究ができないというジレンマがある。しかも大学教員としては、研究以外にも授業や教育、大学や学部の運営に関わる仕事、さらには学術振興会の審査員とか学術雑誌の編集や査読にも参加しないといけない。あまりにも時間が足りないと感じる。
まぁ、大学で研究者として高いレベルの研究を続けるのが大変なのは、多かれ少なかれどこの国でも同じだと思う。こういうシステムは国によって違うものだし、日本の国立大学は「教授以外は任期付きポストで、昇格には移動が必要なシステム」ということだ。探せば似たようなシステムは他の国にもあるだろう。しかし、日本のこのシステムについて海外の研究者が皆だいたい驚くのは、これらの任期付きポストに大学からスタートアップの資金がほとんど支給されないということだ。独立ポジションであれば一応スタートアップはあるが、それも大した金額ではないことがほとんどだ。「研究費は自分で持ってきて下さい。そして必ず5年で出て行ってください。」という、なかなか非情なシステムだと思う。ちなみに京大では研究のための学内ファンドがいくつかあり、自分もこういうものに支援してもらったが、学内とはいえ全て競争的資金なので、実際には少数の人しかもらうことができない。所属する講座で、部屋付き親方のような形で間借りして研究するうちはスタートアップは必要ないだろう、ということなんだろうが、それだとやはりラボのスペースに問題があったり、学生を取るのに難があったり、教授との上下関係が鬱陶しかったり、と色々な問題がある。大学にとっては、このシステムは金がかからなくて良いだろうと思うかも知れない。しかし長い目で見ると絶対に良くないと自分は考えている。この10年間、日本の大学で研究者としてやってきた経験、周りのたくさんの同世代の研究者と話してきて得た感覚、様々なことをもとに考え合わせた上で思うことだ。このシステムでは、大学と研究者の間に良い関係が生まれない。
アメリカの大学の研究者が、自分のいる大学や所属する学部への愛や感謝、そして同じ学部の教員への賞賛の言葉などを口にしているのを見聞きすることが多いと感じるのは自分だけではないと思う。一方で、日本の大学にいる同世代の研究者から、そのような言葉はまぁほとんど聞いたことがないし、逆に聞こえてくるのは大学や学部への不平不満、年長の教授とかに対する悪口みたいなものがほとんどだ。スタートアップがないので研究費をかき集めてくる必要があり、その申請書や報告書に追われ、一生懸命教育活動をして大学運営にも参加させられ、事務方には毎日のようにどうでも良い細かいことを指摘されてその対応に追われ、そんな中でがんばっていくら素晴らしい研究をしていたとしても期限が来たらあっさり放り出されるわけだから、当然と言えば当然か。
アメリカの大学にはテニュアトラックというシステムがある。テニュアトラックでは、大学が新任教員に対して研究室のスタートアップとして大きな額の投資をする。採用された研究者は、そのスタートアップを元手に研究教育活動を行い、数年後の審査に合格すれば大学教員としての終身在職権、いわゆるテニュアを獲得することができる。新任教員へのスタートアップは大学としては大きな額の出費となるが、将来的にはその初期投資額以上のものを回収できることを見越してやっている。高いレベルの研究と良い教育ができる研究者を採用すれば、その人は外部資金を取ってきてその分の間接経費が大学に入る。高いレベルの研究成果が世に出れば、世界中の学生や研究者がその大学を目指して集まることになり、大学経営をさらに後押しするだろう。まぁだからこそアメリカの大学教員の公募は、世界中の応募者から適切な人物を選ぶために、ものすごく真剣な選考が行われている。研究者の側から見ると、大学からしっかりとした投資をしてもらって、テニュアトラックがうまく行くように周りの教員から色々とサポートをしてもらうという経験を通して育つと、やはりその大学や学部に恩を感じるし帰属意識が高まるだろう。日本の今のシステムでは、多くの任期付き教員達に愛校心や帰属意識どころか、逆に使い捨てにされたという悲しい気持ちと疲弊感が残る。大学への悲しみとか恨みみたいな感情を持って疲弊した大学教員をたくさん生み出してしまうシステムが大学教育、ひいては国にとって良いわけがない。
じゃあどうすれば良いのか?日本もアメリカみたいなテニュアトラックシステムにしたら良いのかというと、必ずしもそうではないだろう。そもそもお金がない今の日本の国立大学にはできないし、なんやかんや続いている講座制は、昔からこの国にあるヒエラルキーを持った村社会で和を重んじる文化に合っているのかも知れない。しかし、文科省はもっと真剣にこういう現状を見て国立大学の経営への支援を考えるべきだと思うし、大学の経営陣ももっと真剣に大学にとって一番大切な研究者達の現状と向き合うべきだと思う。最近、他の先進諸国に比べて日本の大学の研究力が伸び悩んでいることについてのニュースを頻繁に目にするようになったけど、自分はこの10年間肌で感じてきた同世代研究者の疲弊にその原因の一つが見えている。
もう一つ、日本の大学には定年退職制度があることもアメリカの大学へ行こうと思った理由の一つ。アメリカの大学でテニュアを取得すると強制的な定年はなく、リタイアのタイミングは自分の意思に任せられる。自分が今の日本の定年の65歳になる頃に、どれぐらい研究や教育に対するモチベーションとアクティビティが維持されているかはちょっと分からないけど、研究者にとって65歳でのリタイアは早いのではないかと感じるし、そもそも研究者個人個人のキャリアは様々なので、みんな一緒に65歳というのはどう考えてもおかしいだろう。多様なキャリアパスを認めるべきだ。アメリカでは雇用における年齢差別が禁止されているので、そもそも公募の際に年齢を聞くことはない。
ということで、私がアメリカの大学へ行くことを決断した理由の一つは、こういう日本の大学の現状にある。この10年間、自分はそれなりに研究費が取れて自分の研究をすることができたし、なんとかポジションも途切れることなく繋いできたし、たくさんの大切な友人や共同研究者と知り合うことができたけど、安定したポストが得られず落ち着いて研究ができないことに疲れてしまった。まぁ他にも、アメリカの大学の雰囲気が好きだったということもあるし、娘がすでにアメリカの大学に入学したことが決断を後押ししてくれたということもある。今後はアメリカのアカデミアで様々な問題に対峙していくことになる訳だけど、これからも日本の研究者の方々とは関係を続けていきたいし、日本人として今後の日本のアカデミアの動向も気になる。日本とアメリカの両方で大学教員としてのキャリアを経験する人はそれほど多くはないと思うので、今後自分の経験が何か日本の大学に貢献できることがあれば積極的に関わっていきたいと思う。
KUMO
KANPAI London Craft Sake, KUMO Cloudy Nigori
こないだの8月に、ケンブリッジから一時帰国していた卒業生の N が、ロンドンからお祝いに持ち帰ってくれたお酒。ロンドン初のサケブルワリーということで、どんなものなんだろうと思ったら、フルーティなしっかりとしたにごり酒。いろんな料理と合わせて楽しませてもらった。KUMO(雲)という名前は、にごり酒の白いおりをイメージしているのだと思う。
最近は結構、海外でも日本酒の醸造が流行り始めているようだから、アメリカでも地酒を色々と探してみたい。
2024年10月31日木曜日
Visa process
来年1月からの赴任に際して、勤務が始まる少し前に入国して生活のセットアップをするために、12月中旬には入国しようとして準備を始めていたのだが、そういえばまだ就労ビザ(H-1B)の証明書類が届いていない。ビザ申請に必要な情報を大学のほうに提出したのは7月頃だったので、さすがにもう受理されているだろうと思って大学に問い合わせてみたら、まだだと言う。しかも、対応してくれている弁護士によると、ビザプログラムが始まる日より10日以上前にアメリカに入国してはいけないのだそうだ。つまり、入国は12月23日以降でなければならないということになる。知らなかった。。。ということで、12月中旬から入国しようと思って始めていた準備を色々と考え直さなければならなくなってしまった。結構しんどい。一方で、大学から来るはずのファンディングのレターが来なくて焦っていた大学院生の F に、ついに昨日そのレターが届いたらしく、大喜びのメールが送られてきた。まぁまぁそれは良かったのだけど、イランからのもう一人の大学院生 M もビザの申請手続きに関することについて、大学の方から返答が得られていないらしい。さぁ、1月にLafayetteで3人全員揃うのだろうか。
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