2024年11月2日土曜日

Why do you come here?

こないだULLでBiologyの新任教員達と話した時、テーブルについてまず聞かれたのが、「Why do you come here?」という質問だった。まぁそりゃそうだろう。当然彼女達も、Kyoto Universityが日本でもトップランクの研究大学であることを知っていて、そこで既にAssociate Professorとして研究グループを持っている人が、なぜわざわざルイジアナに移動して来る必要があるの?ということだ。ということで、その理由をクリアーにするためには、海外の研究者達が知らない日本の大学のシステム、そのシステムで疲弊している日本の研究者達の現状を話す必要があった。この話は、私がアメリカの大学へ行くことを選んだ理由というだけでなく、研究者以外の方々にも日本の大学、特に国立大学における研究について考えてもらえる機会になるかも知れないので、ここでも少し説明しておこうと思う。一応、これは私の経験に基づいた私自身の見解である。

私は、2014年の春にアメリカから帰国して、国立遺伝学研究所で助教として4年、北海道大学で講師として2年、そして京都大学で准教授としておよそ5年、合計10年以上に渡って日本のアカデミアでのキャリアを重ねてきた。これら国立大学の教員としてのポストは全て5年期限の任期付きポストだった。基本的に同じ場所での昇進は無いし、何もせずに次のポストが決まることはないので、失職せずに研究を続けるためには現在の任期が終わる前に公募が出ているポストに応募して、次の新しいポジションを勝ち取る必要があり、最終的には自分の研究室を持つことができる独立ポジション(一般的には教授)が目標となる。国立大学の独立ポジションの公募は相当な競争率になるので、当然高いレベルでの研究活動や多くの研究費獲得といった実績を持っていないと話にならない(ちなみに、公募に見せかけた出来レースのこともあるけど、出来レースの勝者に指名してもらうには、その場所で政治力を持つ“エライ”先生の寵愛を受けていないといけない)。しかし、研究というのは時間がかかるものだ。分野にもよるが、大きな発見や重要なコンセプトを論文として発表しようとすると、たいがい5年以上はかかる。つまり、失職しないためには研究実績を上げて就職活動をしないといけないのだが、5年という短い期間では落ち着いてじっくり研究ができないというジレンマがある。しかも大学教員としては、研究以外にも授業や教育、大学や学部の運営に関わる仕事、さらには学術振興会の審査員とか学術雑誌の編集や査読にも参加しないといけない。あまりにも時間が足りないと感じる。

まぁ、大学で研究者として高いレベルの研究を続けるのが大変なのは、多かれ少なかれどこの国でも同じだと思う。こういうシステムは国によって違うものだし、日本の国立大学は「教授以外は任期付きポストで、昇格には移動が必要なシステム」ということだ。探せば似たようなシステムは他の国にもあるだろう。しかし、日本のこのシステムについて海外の研究者が皆だいたい驚くのは、これらの任期付きポストに大学からスタートアップの資金がほとんど支給されないということだ。独立ポジションであれば一応スタートアップはあるが、それも大した金額ではないことがほとんどだ。「研究費は自分で持ってきて下さい。そして必ず5年で出て行ってください。」という、なかなか非情なシステムだと思う。ちなみに京大では研究のための学内ファンドがいくつかあり、自分もこういうものに支援してもらったが、学内とはいえ全て競争的資金なので、実際には少数の人しかもらうことができない。所属する講座で、部屋付き親方のような形で間借りして研究するうちはスタートアップは必要ないだろう、ということなんだろうが、それだとやはりラボのスペースに問題があったり、学生を取るのに難があったり、教授との上下関係が鬱陶しかったり、と色々な問題がある。大学にとっては、このシステムは金がかからなくて良いだろうと思うかも知れない。しかし長い目で見ると絶対に良くないと自分は考えている。この10年間、日本の大学で研究者としてやってきた経験、周りのたくさんの同世代の研究者と話してきて得た感覚、様々なことをもとに考え合わせた上で思うことだ。このシステムでは、大学と研究者の間に良い関係が生まれない。

アメリカの大学の研究者が、自分のいる大学や所属する学部への愛や感謝、そして同じ学部の教員への賞賛の言葉などを口にしているのを見聞きすることが多いと感じるのは自分だけではないと思う。一方で、日本の大学にいる同世代の研究者から、そのような言葉はまぁほとんど聞いたことがないし、逆に聞こえてくるのは大学や学部への不平不満、年長の教授とかに対する悪口みたいなものがほとんどだ。スタートアップがないので研究費をかき集めてくる必要があり、その申請書や報告書に追われ、一生懸命教育活動をして大学運営にも参加させられ、事務方には毎日のようにどうでも良い細かいことを指摘されてその対応に追われ、そんな中でがんばっていくら素晴らしい研究をしていたとしても期限が来たらあっさり放り出されるわけだから、当然と言えば当然か。

アメリカの大学にはテニュアトラックというシステムがある。テニュアトラックでは、大学が新任教員に対して研究室のスタートアップとして大きな額の投資をする。採用された研究者は、そのスタートアップを元手に研究教育活動を行い、数年後の審査に合格すれば大学教員としての終身在職権、いわゆるテニュアを獲得することができる。新任教員へのスタートアップは大学としては大きな額の出費となるが、将来的にはその初期投資額以上のものを回収できることを見越してやっている。高いレベルの研究と良い教育ができる研究者を採用すれば、その人は外部資金を取ってきてその分の間接経費が大学に入る。高いレベルの研究成果が世に出れば、世界中の学生や研究者がその大学を目指して集まることになり、大学経営をさらに後押しするだろう。まぁだからこそアメリカの大学教員の公募は、世界中の応募者から適切な人物を選ぶために、ものすごく真剣な選考が行われている。研究者の側から見ると、大学からしっかりとした投資をしてもらって、テニュアトラックがうまく行くように周りの教員から色々とサポートをしてもらうという経験を通して育つと、やはりその大学や学部に恩を感じるし帰属意識が高まるだろう。日本の今のシステムでは、多くの任期付き教員達に愛校心や帰属意識どころか、逆に使い捨てにされたという悲しい気持ちと疲弊感が残る。大学への悲しみとか恨みみたいな感情を持って疲弊した大学教員をたくさん生み出してしまうシステムが大学教育、ひいては国にとって良いわけがない。

じゃあどうすれば良いのか?日本もアメリカみたいなテニュアトラックシステムにしたら良いのかというと、必ずしもそうではないだろう。そもそもお金がない今の日本の国立大学にはできないし、なんやかんや続いている講座制は、昔からこの国にあるヒエラルキーを持った村社会で和を重んじる文化に合っているのかも知れない。しかし、文科省はもっと真剣にこういう現状を見て国立大学の経営への支援を考えるべきだと思うし、大学の経営陣ももっと真剣に大学にとって一番大切な研究者達の現状と向き合うべきだと思う。最近、他の先進諸国に比べて日本の大学の研究力が伸び悩んでいることについてのニュースを頻繁に目にするようになったけど、自分はこの10年間肌で感じてきた同世代研究者の疲弊にその原因の一つが見えている。

もう一つ、日本の大学には定年退職制度があることもアメリカの大学へ行こうと思った理由の一つ。アメリカの大学でテニュアを取得すると強制的な定年はなく、リタイアのタイミングは自分の意思に任せられる。自分が今の日本の定年の65歳になる頃に、どれぐらい研究や教育に対するモチベーションとアクティビティが維持されているかはちょっと分からないけど、研究者にとって65歳でのリタイアは早いのではないかと感じるし、そもそも研究者個人個人のキャリアは様々なので、みんな一緒に65歳というのはどう考えてもおかしいだろう。多様なキャリアパスを認めるべきだ。アメリカでは雇用における年齢差別が禁止されているので、そもそも公募の際に年齢を聞くことはない。

ということで、私がアメリカの大学へ行くことを決断した理由の一つは、こういう日本の大学の現状にある。この10年間、自分はそれなりに研究費が取れて自分の研究をすることができたし、なんとかポジションも途切れることなく繋いできたし、たくさんの大切な友人や共同研究者と知り合うことができたけど、安定したポストが得られず落ち着いて研究ができないことに疲れてしまった。まぁ他にも、アメリカの大学の雰囲気が好きだったということもあるし、娘がすでにアメリカの大学に入学したことが決断を後押ししてくれたということもある。今後はアメリカのアカデミアで様々な問題に対峙していくことになる訳だけど、これからも日本の研究者の方々とは関係を続けていきたいし、日本人として今後の日本のアカデミアの動向も気になる。日本とアメリカの両方で大学教員としてのキャリアを経験する人はそれほど多くはないと思うので、今後自分の経験が何か日本の大学に貢献できることがあれば積極的に関わっていきたいと思う。

KUMO

KANPAI London Craft Sake, KUMO Cloudy Nigori
こないだの8月に、ケンブリッジから一時帰国していた卒業生の N が、ロンドンからお祝いに持ち帰ってくれたお酒。ロンドン初のサケブルワリーということで、どんなものなんだろうと思ったら、フルーティなしっかりとしたにごり酒。いろんな料理と合わせて楽しませてもらった。KUMO(雲)という名前は、にごり酒の白いおりをイメージしているのだと思う。
最近は結構、海外でも日本酒の醸造が流行り始めているようだから、アメリカでも地酒を色々と探してみたい。

2024年10月31日木曜日

Visa process

来年1月からの赴任に際して、勤務が始まる少し前に入国して生活のセットアップをするために、12月中旬には入国しようとして準備を始めていたのだが、そういえばまだ就労ビザ(H-1B)の証明書類が届いていない。ビザ申請に必要な情報を大学のほうに提出したのは7月頃だったので、さすがにもう受理されているだろうと思って大学に問い合わせてみたら、まだだと言う。しかも、対応してくれている弁護士によると、ビザプログラムが始まる日より10日以上前にアメリカに入国してはいけないのだそうだ。つまり、入国は12月23日以降でなければならないということになる。知らなかった。。。ということで、12月中旬から入国しようと思って始めていた準備を色々と考え直さなければならなくなってしまった。結構しんどい。一方で、大学から来るはずのファンディングのレターが来なくて焦っていた大学院生の F に、ついに昨日そのレターが届いたらしく、大喜びのメールが送られてきた。まぁまぁそれは良かったのだけど、イランからのもう一人の大学院生 M もビザの申請手続きに関することについて、大学の方から返答が得られていないらしい。さぁ、1月にLafayetteで3人全員揃うのだろうか。

2024年10月25日金曜日

帰宅

無事京都に帰って来ました。昨日、Lafayetteのホテルを出たのは昼前だったので、38時間くらい移動をしていたことになるか。京都はずいぶんと秋らしくなった気がする。とりあえずいつもの近所のスーパーで買い物をして、この日常がなんとも愛おしく感じた。やっぱり岩倉は平和だ。

Horizon 1

アトランタ経由で到着したソウルのインチョン空港のラウンジで約5時間のトランジット中。ATLーICNが15時間超のロングフライトで、断続的に結構寝たもののかなりキツかった。これまでにも何度かこの便に乗っているけど、いつもこんなに長かったんだっけな。で、この15時間ほどの間に、イランの学生 F の入学関連の事務手続きに関して早速大学の方で何らかのミスがあったようで、焦って取り乱した F からメールが何通か来ていた。まぁ、こういう事務手続きが一回でスムーズにいかないのはアメリカの常だと思っているので大して驚きはないのだけど、今回はビザ申請を迅速に済ませないといけないので焦る気持ちは分かる。というか、自分のビザ関連書類もまだ届いていないんだった。

飛行機の中で、「Horizon: An American Saga」というケビンコスナーによる四部作の第一章を鑑賞。3時間の映画だったけど、映像に迫力があってなかなか楽しめた。まぁ以前にも住んでいたのだから今更なんだけど、アメリカってこういうワイルドな人達が切り拓いた国なんだよなぁとしみじみ。

2024年10月23日水曜日

Mission complete

さて、明日の夕方の飛行機でLafayetteを出るので、今晩が今回のアメリカ出張の最後の夜になる。この二週間半、これまたエライいろんなことがあって本当に忘れ得ぬ旅になった。今回のミッションがかなり大変なものになることは分かっていたので結構不安もあったのだけど、計画していた全てのことが何とか無事終わって帰れそうなので、今晩はちょっと心穏やかだ。そういえば、先週ちょうどLafayetteに到着した頃にこちらの大学から連絡があって、うちのラボでのPhDプログラムを志望していた学生が2人とも合格したことが分かった。これは大変喜ばしいことなのだけど、実は二人ともイランの学生なので、現在の中東情勢を考えると、彼らのビザがスムーズに発行されるかどうかという心配は残っている。まぁでもとりあえず、今回の旅でやれることはやった。

2024年10月22日火曜日

ラボスペース

今日もまた大学へ。この夏からここのDepartment of Biologyに加入した新任教員の女性3人と初めて挨拶して、皆んなで一緒に教職員用の食堂へ行ってランチ。自分は1月の春学期からのスタートだけど、採用年度としては彼女達と同期ということになる。ということで、世界のいろんな場所(イギリス、オーストラリア、ニューヨーク、日本)で研究していた4人が何かの縁でここに集まった訳だが、面白いことになぜか初対面という感じがあまりなくリラックスして話せたので、まぁ仲良くやっていけそうな気がする。
その後、学部長のカレンに自分のラボが入る予定の場所に連れて行ってもらった。その場所は、前学部長のポールのラボが入っていた部屋で、ポールが今少しずつ整理をしてくれているということなのだが、まだまだ色んなものが残っていたし、かなり古びた実験室という印象。そろそろ引退を考えているポールが使っていた場所なので古いのは当然なんだけど、まぁアメリカの州立大学の典型的な古い研究棟という感じ。来年ここに来たら、まずはラボの掃除からという感じになるだろうな。

2024年10月21日月曜日

日曜

今日は朝からダウンタウンに出かけたのだけど、日曜の朝ということであまり店は開いておらず、近くの大聖堂とその背後に広がる墓地を訪れた。この辺りの墓地は、遺体が納められた石棺が地上に立ち並ぶNew Orleansスタイルで、なかなかに雰囲気がある。その後、少し郊外にあるVermilionvilleという、この辺りに入植したフランス系移民の人達の昔の町を再現した場所を見学。昼はまだまだ暑いけど、街はすでにハロウィーンの雰囲気に包まれている。

2024年10月20日日曜日

トマトサーディン

今回、Lafayetteには一週間以上いる予定なので、キッチンもついているグレードが高めのホテルに滞在。アメリカで毎日外食だと絶対にもたないので、晩御飯はなるべく自炊する。今日は、Fresh Marketで見つけたオイルサーディンとミニトマトを使ってスパゲッティ。オリーブオイルがなかったので、オイルサーディンのオリーブオイルを使ったり、パスタの茹で汁には塩でなくダシを使ったり、結構あり合わせでいったのだけど、なんとも驚くほど美味しいものができた。

ULL散策

昨日の午前中、時間があったので大学構内を散策。通りに立ち並ぶオークの木が大きな枝を横へ伸ばしていて、そこにスパニッシュモスが垂れ下がるこの光景は、フロリダで見ていたものととても似ている。キャンパスの中にあるスワンプではカメやワニが日向ぼっこをしており、なかなかのんびりとした南部の風景。