2025年1月17日金曜日

セットアップ

さて、この数日間、まずは生活基盤のセットアップに奔走していたのだが、以前に長いこと住んでいた国とはいえ、ほとんど全てのものをまた新しく作るのはかなり難航した。
まず銀行口座を作ろうと思って銀行に行ったら、パスポート以外にアメリカの現住所を確認できるものが必要と言われて断念。住所の証明の一つは、電気ガス水道などのユーティリティの請求書になるけど、まだ住み始めたばかりで請求書がないし、そもそもユーティリティの契約がまだ。ユーティリティの契約には電話番号が必要なので、携帯電話のSIMを注文。住所証明にもなるIDとしては日本と同様に運転免許証が一番なのだけど、フロリダの時のは当然期限切れだし、ルイジアナ州の免許を取るにはまた試験を受けて発行を待たないといけないので時間がかかる。そこで銀行の人に教えてもらったのがState IDというもので、州が発行する運転免許ではない身分証明のカードで、それには住所が入るし即日発行されるらしい。車を買いに行ったら、これまた購入時に同様なものが必要ということで、やはりまずはState IDを取得しようと思ったのだが、State IDにも住所証明が必要。。。じゃあ一体何から手をつければエエねん?ということで、もう一度しっかり順番を整理して考えた。
家の賃貸契約書、携帯電話番号、ユーティリティの契約書、大学のID、などを取得してから町のDMV(免許証とかを発行する所)へ行ったのだが、そこではState IDの発行は取り扱っておらず、Crowleyという隣町のDMVを案内された。なんでこんなところなん?と聞きたくなるような寂れた小さな町だったけど、そこでようやくState IDをゲット。State IDは身分証明書としては運転免許証と同等なので、これとパスポートがあれば銀行口座開設も含めて大体のものが上手くいき始めた。今回、以前に取得したSSNカードをちゃんと持っていたからまだマシだったかもしれない。20年前に初めてアメリカに来た時はSSNもなかったし、そもそもスマホとか無かった時代だからもっと大変だったことを少しずつ思い出している。
そんな感じでとりあえず、生活基盤のセットアップの基本的なところはできてきた。

2025年1月15日水曜日

6日目

Lafayetteに到着してから今日が6日目の朝。始めの3日間はホテルに滞在して、日曜日の夜から自分の家に住み始めた。今回の家はダウンタウン近くのエリアにあるレンタルハウスで、3LDK+屋根裏部屋という感じ。戦前の1939年に建てられた家ということなので、築86年とか。たしかによく見るとかなり古いことが分かるけど、どの部屋もゆったりしていてなかなか良い。家具はまだほとんどないので、少しずつ揃えていければと思う。大家さんは若い夫婦で、まだ小さな男の子と3人で隣の家に住んでおり、とても親切にしてくれるので安心した。
今はまだ日本から持ってきた食料が色々とあるのだけど、この数日の間に試してみたいくつかのレストランはどこもなかなか美味しかった。やはりこの町は食のレベルがなかなか高いのかもしれない。

2025年1月10日金曜日

Lafayette 到着

昨晩遅く、無事 Lafayette に到着。空港からはレンタカーで、とりあえず予約していたホテルに投宿。契約している家にはもう入れるはずなのだけど、電気ガス水道ネット等のユーティリティのセットアップがまだだし寝床もないので、日曜までこのホテルに滞在しながら最低限の生活のセットアップを行う予定。昨日の旅ではラッキーなことに、インチョンからアトランタまでの12時間超フライトがファーストクラスにアップグレードされた。いつかあの Delta One を使ってみたいと思っていたので、席に案内された時は嬉しくて色々な機能を試してみた。扉を閉めると個室になるし、フルフラットになるシートに敷布団や掛け布団も付いているのでもちろん快適なのだけど、機内の乾燥がすごくてあまり熟睡はできなかったかな。晩も朝も韓国風を選んだ機内食は、どちらもかなり美味しくてしっかり楽しむことができた。しかしこのファーストクラスの快適さを知ってしまうと、今後あれやな。。。
さぁ、とりあえず今日から週末にかけて、やれることをどんどんやっていかなければ。

2025年1月8日水曜日

京都編最終回

今日は日本で過ごす最後の日。いくつか残っていた役所での手続きを済ませるためにもう一度京都へ。ついでにもう一度、住んでいた岩倉の家を訪れて郵便物がないか確認してきた。約五年住んだこの場所もこの町もとても居心地が良い住処だったし、ついにこれでお別れかと思うとたくさんの思い出が甦ってきて結構感傷的になった。さらば岩倉。そして出町柳から京都を去ろうというちょうどその時、父からの電話があって、ビザがついに届いたよという報告をもらった。ギリギリセーフ。そんなわけで、いよいよ明日出国する。この三週間、実家で過ごして心の準備はだいぶできた気がするのだけど、アメリカでの授業の準備とかラボ始動の準備とかはまだまだ途上にある。まぁ、いつものようになんとかなるでしょう、というか、なんとかするしかないのよね。。。

ということで、このブログの京都編は今日が最終回。次回からはまた新しいシーズン、波乱の幕開け「ルイジアナ編」に入ります。

お別れ

月曜日、最後の片付けをしにラボへ。と言っても、今年度中はまだ引き続き学生達が実験をする予定なので、片付けたのは基本的に自分のオフィススペース。実験室、フライルームの方は、また4月に一時帰国するときに片付ける予定。大学に来るのはこの日が最後ということで、鴨川の飛び石を渡ってお世話になったカモカフェのDちゃんとScapeのNさんにも挨拶をしに行ってきた。自分にとって、京都に来て一番良かったことの一つはカモカフェを見つけたこと。こんなに落ち着けるカフェは他にはない。Dちゃんとは同い年ということもあり、お互いこれからも頑張りましょうと握手をして別れた。Nさんとは、ルイジアナの新しいラボに置くためのステンドグラスのデザインについて、そして今後の何らかの共同プロジェクトの可能性についても話した。そんなこともあり、京都を離れてもここにはまた帰って来る。そして日が暮れた頃にラボに戻ってきて、Yラボの皆さんと記念写真を撮ってお別れ。皆さま本当にお世話になりました。

2025年1月4日土曜日

ビザ面接

一昨日、ビザの面接を受けに朝から大阪の米国総領事館を訪問。予約は9:15だったのだが、ちょっと早めの8:45くらいに行くと建物の外にすでに20人以上並んでおり、まず中に入るまでにかなり待たされた。以前ここに来たのはもう10年以上前のことだけど、中はほとんど変わっていないのか、少しずつ記憶が戻ってきた。1階でセキュリティチェックを受けてから、階段で3階に上がって窓口で書類のチェックと指紋の採取。その次は2階に降りて領事との面接。なのだけど、面接の窓口が2つしかなくて長蛇の列ができており、だいぶ待ちくたびれた頃に自分の番が回ってきた。面接では、ユーはアメリカ行って何するねんとか、以前のビザの時は何しとったんとか、ありきたりなことしか聞かれなかった。で、なんかちょっとコンピューターで調べたあとに、ハイじゃあアプルーブされましたよーとか言われて意外とあっさり終わった。随分と長いこと領事と議論している人もいたけど、ウチらのビザってこんなもんだっけね。ちなみに、1月8日のフライトを予約してるねんけど間に合いますかねって聞いてみたら、それはキビシイねぇって笑いながらも色々と調べてくれた。まず、ビザの受け取りは郵送よりも自分で取りに来る方が確実だろうと思って、自分でピックアップしに来る設定にしてあったのだけど、どうやら一度東京の大使館に送られることになるから郵送の方が早いらしい。ということで、家に帰ってきてすぐに郵送に切り替える手続きをして、心に余裕を持たせるためにフライトをさらに一日後ろへずらして1月9日に変更。その後、領事館からメールが来て、通常であれば6日月曜日にビザの発行となり、8日にお手元に届く見込みとのこと。さぁ、あとは全て予定通りに進むことを祈るのみ。

2025年1月2日木曜日

謹賀新年 2025

新年明けましておめでとうございます。
皆さま、本年もどうぞよろしくお願いします。

元旦は、大晦日から息子がこちら大阪の実家に来ていたので、四人でおせちを食べて、午後はぶらぶらと地元の神社へ初詣。子供の頃は毎年大晦日の夜に、紅白歌合戦が終わったら家族でこの地元の神社に並びに来て、年明けの時報を聞いてから境内にあるたくさんの社の一つ一つを拝んでまわるという夜中の初詣をしていたことを思い出した。夜に見上げる本殿は荘厳さがあり、裏のほうにある小さな社はとても暗くてちょっと怖かったり、露店が出ているお稲荷さんのあたりは幻想的だったり、そのような雰囲気のなか、一年の始まりとしてなんだかとても大切なことをしているような気がしたもんだ。今年は渡米してまた新しいスタートということで、色々とがんばらなあきませんけど、うまくいきますようにとお祈り。

2024年12月31日火曜日

大晦日 2024

いつの間にか大晦日で今年もあと数時間になってしまった。この数週間、引っ越しのあれやこれやに忙殺されていたので、大晦日という実感が全くない。今年は3月の初めにULLからコンタクトがあって、5月にオファーをもらってからは、今年中にやらないといけないことがたくさん出てきて、気持ちとしてもスケジュールとしてもえらい余裕がないうちにものすごい勢いで時間が過ぎ去っていった感がある。特に夏以降はかなり出張が多かったし、今数えてみると7つの学会に参加したようだ。どの学会でも多くの知り合いに会って挨拶をすることができたのは良かった。その中でも自分がオーガナイザーとして開催することができた倍数性研究会と生化学会のシンポジウムはやはり印象深い。まぁそんな忙しい中でやり残してしまったことはたくさんあって、来年の早いうちにやってしまわないとなぁと思うのだが、アメリカに行ったら行ったでそれこそ余裕がないだろうから、気合い入れていかないといけませんなぁ。
ということで、そろそろ2024年は終わり。それでは皆さま、良いお年をお迎えください。

D.m. T

関西モーフォメのメンバーからいただいたプレゼント。なかなかリアルなフライがデザインされていてクールなので、これを着て授業をするかな。