最近、毎日のようにリビングの絨毯の上にゴキブリの死骸が落ちている。どうやらミトンが毎晩ゴキブリを捕まえてくれているらしい。外にいるグラネットは昨日の夜ネズミを捕まえて見せに来てくれたし、一昨日の晩は小鳥を持ってきた。ネコってやっぱりスゴイですねぇ。獲物を自慢気に見せに来てくれるところがまたオモシロイ。そういやミトンがうちに来てからちょうど一ヶ月ほど経ったが、シェルターにいたときの写真と比べてみると随分太ったようだ。
2009年6月26日金曜日
愛国週間
来週の土曜日はアメリカの独立記念日。ということで、ロウチビが通っているプレスクールの今週のテーマは「Red, White and Blue」つまりは星条旗の赤、白、青、ということである。愛国週間とでも言えばいいのだろうか、工作の時間に子供達は持参した白いTシャツにみんなで赤と青の模様を描いて星条旗をイメージした愛国シャツを作ったりするらしい。
まぁ三歳のロウチビにはただの楽しいクラフトだったんだろうけど、子供の頃日本でしっかりと左巻きの戦後洗脳教育を受けてきた自分にとってこれはちょっとしたカルチャーショックだ。日本でこんな授業をすると大騒ぎになるんじゃなかろうか。例えば、建国記念日とか天皇誕生日あたりを愛国教育週間とでも称して幼稚園や小学校で日章旗の絵を描かせたりしたら。まぁそんなカリキュラムが組まれた時点で左巻きの教師達は発狂して授業をボイコットし、どこからともなく湧いて出てくるプロ市民とやらがデモを行って、反日マスコミが喜んでそれについての偏向プロパガンダニュースを垂れ流すんだろうなぁ。。。などと考えると、別にアメリカのこういう教育がスバラシイとも思わないが、逆にいかに日本が病んでいるか、というかこういうことに対する戦後GHQによる日本人洗脳作戦がいかに巧妙に仕組まれていたのかということがよく分かる。
まぁ三歳のロウチビにはただの楽しいクラフトだったんだろうけど、子供の頃日本でしっかりと左巻きの戦後洗脳教育を受けてきた自分にとってこれはちょっとしたカルチャーショックだ。日本でこんな授業をすると大騒ぎになるんじゃなかろうか。例えば、建国記念日とか天皇誕生日あたりを愛国教育週間とでも称して幼稚園や小学校で日章旗の絵を描かせたりしたら。まぁそんなカリキュラムが組まれた時点で左巻きの教師達は発狂して授業をボイコットし、どこからともなく湧いて出てくるプロ市民とやらがデモを行って、反日マスコミが喜んでそれについての偏向プロパガンダニュースを垂れ流すんだろうなぁ。。。などと考えると、別にアメリカのこういう教育がスバラシイとも思わないが、逆にいかに日本が病んでいるか、というかこういうことに対する戦後GHQによる日本人洗脳作戦がいかに巧妙に仕組まれていたのかということがよく分かる。
2009年6月23日火曜日
JI博士
昨日の晩はTE君宅でJI博士を囲んでのパーティー。今日の昼もさらにJI博士を囲んでのポスドクランチ。昨晩はJI博士のあからさまな自虐ネタの数々にかなり笑わせてもらったけど、みんなかなりひいていた話題もありましたよ。それがまた私にはオモシロかったのですけど、気を付けましょう。まぁでも、JI博士は相変わらずロンドンでも海外独身生活を謳歌しているようですね。今のロンドンのボスはかなりのやり手のようで、研究の方も順調に進み始めているようでなにより。ロンドンという歴史ある大都会での生活を垣間見させてもらい本当に楽しかったです。
さて、今朝はボスとプロポーザルの方向性について議論した結果、大きく分けて三章あるうちの二つ目の章を大幅に考え直すことになった。ちょっと時間が限られてきているのでかなりきついが、ボスの示してくれた方向性はリーズナブルだと思えたのでがんばって今週中にも書いてみましょう。
さて、今朝はボスとプロポーザルの方向性について議論した結果、大きく分けて三章あるうちの二つ目の章を大幅に考え直すことになった。ちょっと時間が限られてきているのでかなりきついが、ボスの示してくれた方向性はリーズナブルだと思えたのでがんばって今週中にも書いてみましょう。
2009年6月19日金曜日
朋遠方より
今日の午後、JI博士がラボを訪ねてきてくれた。JI博士は一年ほど前までここFSUでポスドクをしていたのだが、今はロンドンのUCLでポスドクをしている。今回はアイダホでの学会に出席したついでにタラハシまで遊びに来たらしいけど、アイダホからフロリダを「ついで」と言い張るJI博士は相変わらず飄々としている。「いやはや、もう一年も経つんですねぇ。しかしこの一年間で我々なんか変わりましたかねー?」という話をしたときに、二人ともいくらかは確実に研究で進捗が見られたなーということで同意した。一番重要なことでお互いイイ変化があったということで、これは喜ばしいことですね。あと、まぁこれは相変わらずだけど、二人ともなんやかんや言っても海外ポスドク生活を楽しんでますなぁという感じ。
またもや
今朝のジャーナルクラブの最中、なんか暑いなぁと思っていたらまたもやエアコンが壊れているらしい。今回はビル内全部。こんなくそ暑い中では頭が働かない。もう勘弁して欲しいですわ。今日のジャーナルクラブではつい最近Cellに出た論文をジャッキーが紹介してくれたが、何故この仕事がCellに載るのかちょっと疑問を感じた。もちろんそのpathwayがそのbehavioral phenotypeに関与していることは分かるしインパクトは大きいのだろうとは思うが、そのpathwayがいかにそのbehavioral phenotypeの原因となるphysiological processに関わっているのかという機能解析の部分が抜け落ちている。随分と優しいレビュワーに当たったのかなぁ。
2009年6月18日木曜日
チコリコーヒー
少し前から自分のオフィスに置いてあるコーヒーメーカーが壊れていて、一応コーヒーは入れられるのだが注いだ水の半分以上が下に漏れ出てしまうような状況で困っていた。そんな訳で、先週末ウォルマートで新しいコーヒーメーカーを買ったついでにアジアンストアでCafe Du Mondeのチコリコーヒーも入手してきたので、今週からオフィスで入れるコーヒーは毎日Cafe Du Mondeのチコリコーヒーだ。Cafe Du Mondeはニューオーリンズのフレンチマーケットにある古い有名なカフェで、ニューオーリンズを訪れた観光客は必ずココに立ち寄ってカフェオレとベニエという四角いドーナツを食べるのが定番となっている名物店である。去年ニューオーリンズを訪れたときにこのチコリコーヒーなるものを試してから、結構これが気に入っていたのでちょっと嬉しい。ちなみにチコリコーヒーには、チコリというハーブの根を挽いて焙煎したものがブレンドされているらしく、苦みと深いコクがあります。で、このCafe Du Mondeをネットで検索したらなんと日本にも進出しているではないですか。しかも日本上陸20周年記念とか書いてあるし、フードメニューの写真は見るからにニューオーリンズ本店のモノよりおいしそう。ほんまに日本には何でもありますなぁ。。。
2009年6月17日水曜日
Mini screen
この数日でRNAi mini screenの結果第一弾が出揃ってきたので、今ギルスと一緒にデスカッションした。予想していたよりも多くのラインでRNAiの効果が出ている。この感じならほとんどDcr-2をかます必要はなさそうだが、効果が強すぎるのが問題となるラインもある。フェノタイプが全くの予想通りという訳ではないが、いくつかのラインは次のステップへ持っていけそうな手応えがある。デスカッションしてて思ったが、意外とギルスはGeneticsを良く理解しているようだ。実際のフェノタイプをきちんと見分けられるようになれば、結構イイ仕事をしてくれるんじゃないだろうか。それにしても彼はよくしゃべる。こっちが説明している間も次々とギャグをかましたりツッコミを入れたりしてくれるのでデスカッションの最中も笑いが絶えない。こんなによくしゃべるヤツは初めて見たが、実はおとなしいヤツよりもやりやすいのかもしれない。
2009年6月13日土曜日
ロウチビ作品集
イライラゼミ
今日のゼミはイライライライラさせられた。ゴーアイ君の発表はいつもそうなのだが、プレゼンテーションスライドを使わずに全てのFigureをフォトショップでいちいち開けるというプレゼンの体をなしていない上に、どうも説明が舌足らずでデスカッションをしていてやっと彼の考えていることが分かってくるということが多いのだ。しかも非常に頑固な人で、批判されたことをあまり前向きに考えようとはせず、頑として自分の考えを曲げないのでなんだか場の雰囲気が悪くなったりもする。ジョンピーはなかなか的を射た批判をしていたと思うのだが。まぁそれだけ自分の仮説に自信を持っているということか。データ自体はたくさん持っていてその仕事量には感心させられるが、プレゼンがそれを台無しにしているように思う。データで気になったのは、細胞内のcolocalizationを示すデータがたくさんあったが、細胞内に広く散在するmoleculeと他の極少数のpunctate signalが重なっているからといって、これをcolocalizationと結論づけてしまってイイモンだろうか、ということ。ダブルラベルでlive imagingをやればクリアーな結果が得られるのではないかと思った。でもlive imagingはやはりなかなかオモシロイしカッコイイので自分もやってみようという気になってきた。
2009年6月12日金曜日
Writing
今、ボスと一緒に来月締め切りのリサーチグラントに応募するべくプロポーザルを書いている。ということで、今週はちょっと実験を控えめにして朝から晩までパソコンに向かう毎日。今のところまだ雑多な文章を書きためているだけなので全くと言っていいほどストーリーはオーガナイズされていないが、もちろん頭の中にはぼんやりと完成型のイメージはある。先週かけ合わせたハエ達が仮説通りのフェノタイプを示してくれるなら結構強いpreliminary dataとして使えるのだがどうだろうか。今日見たらいくつかのバイアルで既に黒くなり始めたサナギが現れていたので、今週末くらいには結果は分かるだろう。こういう書き物をしている時はいつも、たぶん何日か後には出来上がっているはずの原稿を早く見てみたい、と思いながら書いている。来週末くらいには形になっていますように。
2009年6月11日木曜日
臨時ポスドクランチ
今日はAT博士が来週日本に帰国するということで、臨時ポスドクランチを催した。AT博士は高校卒業後に渡米して以来ずっとアメリカの大学で育った女性で、去年このFSUのBiologyでPhDを取った後、そのままここ一年ほどはポスドクをしていたのだが御結婚とPh.D取得を機に日本のバイオベンチャー企業に就職することになったのだ。いつものメンバー4人にAT博士ということで、たくさんの話題が出て食後も随分長いこと話をしていた。それにしても最近周りでこの町から去っていってしまう人が多い。でもよく考えてみるとアメリカに来てから出会いと別れの数がとても多くなった気がする。アメリカで出会うポスドクの日本人は、みんな修行中で次へのステップアップを夢見ているという境遇が似ているために、なんというか戦友のような感覚があり別れた後も一人一人のことが気になるモンだ。
ということで、AT博士、御主人共々アメリカで得たことを糧にして、また新たなステージで御活躍されることをお祈りしております。
ということで、AT博士、御主人共々アメリカで得たことを糧にして、また新たなステージで御活躍されることをお祈りしております。
2009年6月8日月曜日
Origin
最近、自分がなぜ生物学を志すようになったのか考えていたら、それは意外と根が深いことに気が付いた。中学、高校の頃からもう既に生物学が一番好きな科目だったが、そんな生物学への興味を決定的にしたのは、高校2年生の時に受けたDNAからタンパク合成への所謂分子生物学のセントラルドグマの授業だった。これはもう本当に衝撃を受けたことを覚えている。おかげでそれ以降生物学にしか興味がなくなり、他の教科をあまり勉強しなかったため受験に失敗して浪人する原因ともなった。しかしながらもっと前、小学六年生の時から獣医になりたいと思っていたものだが、それはよく考えてみればもともと動物や医学に興味があったからだ。というのも、さらに小さい子供の頃を思い返すと「人体のふしぎ」とか「昆虫図鑑」みたいな本が大好きだったし、毎日のように庭でいろんな虫を見つけてはその行動を日が暮れるまで観察したりいろんな実験をしていたことを思い出す。例えば、セミや蛾の幼虫を部屋に持ち帰って羽化の様子をじっくり観察するようなことに始まり、ダンゴムシをオオアリの巣穴に押し込んでその行動を観察したり、ハナムグリを冷凍庫に入れてどうなるか見てみたり、セミの複眼に虫メガネで太陽光を集めてみたり、ザリガニに毛虫を食べさせてみたり、とまぁ考えられることを全て嬉々として試していた。つまり小さな頃から誰に教えられた訳でもなく、ただただ興味から実験生物学のまねごとをやっていた訳だ。
ところで、これまた最近自分の家系、先祖というものに興味を持ってちょっとインターネットで調べていたら、なんとWikipediaに「田守」という項目があるではないか。以下のようにある。
田守の起源は、鎌倉時代後期に北陸地方で行われていたタンボモリという役務であるとされている。このタンボモリは、主にイモチ病の発生を調べるため、水田およびその近辺の状況を毎日観察する役であり、村内の各戸が毎年持ち回りで担当していた。その後、この役は持ち回りから特定の家が代々担当するようになった。北陸地方に現存する田守姓は、タンボモリを専門職としていた家系の名残であると言われている。
室町期に入ると、職業の分化・専門化が進み、タンボモリは田守という職業となった。それまで代々特定の家系が口伝で引き継いできたが、応仁の乱で荒廃した農村を再興するべく、幕府が専門職として全国に田守職を設置した。当初は公領内のみに田守が配置されたが、その後公領周辺の農村への技術指導も行うようになり、室町時代後期には在地支配層である国人が独自に田守の任命を行っていた。
戦国時代の後期には、農村の多くで労働力が戦に駆り出されたため、農業生産力の低下が大きな問題となっていた。このため、各地の戦国大名は優秀な田守を領国に呼び込んで厚遇する反面、領内の田守が他の土地へ移動することを厳しく制限した。このことは田守が廃業する原因となり、一部の有力田守を除いて田守職に就くものは激減した。
江戸時代に入り社会が安定化するとともに、田守が各地で復活するようになる。特に米所といわれた北陸地方では、冷害から稲を守るため各藩は大量の田守を雇い、稲作の安定化に力を入れた。この時期には「農家益」や「農業全書」などの農業技術書が多く出版されたが、田守たちが伝承してきた技術が学問として体系化された時期でもあった。なお、田守職の一部は、植物に対する豊富な知識を生かして本草学へと流れていった。
(以上Wikipediaより抜粋)
本草学というのはつまり当時の生物学にあたる。生命の神秘や面白さをはじめに自分に教えてくれたのは紛れもなく庭にいた虫たちだが、もしかして自分の家系もこの「田守」に由来しているのだとすると、自分に流れる「田守」の血がそうさせたのかなぁ、などと妙に納得したのでした。
ところで、これまた最近自分の家系、先祖というものに興味を持ってちょっとインターネットで調べていたら、なんとWikipediaに「田守」という項目があるではないか。以下のようにある。
田守の起源は、鎌倉時代後期に北陸地方で行われていたタンボモリという役務であるとされている。このタンボモリは、主にイモチ病の発生を調べるため、水田およびその近辺の状況を毎日観察する役であり、村内の各戸が毎年持ち回りで担当していた。その後、この役は持ち回りから特定の家が代々担当するようになった。北陸地方に現存する田守姓は、タンボモリを専門職としていた家系の名残であると言われている。
室町期に入ると、職業の分化・専門化が進み、タンボモリは田守という職業となった。それまで代々特定の家系が口伝で引き継いできたが、応仁の乱で荒廃した農村を再興するべく、幕府が専門職として全国に田守職を設置した。当初は公領内のみに田守が配置されたが、その後公領周辺の農村への技術指導も行うようになり、室町時代後期には在地支配層である国人が独自に田守の任命を行っていた。
戦国時代の後期には、農村の多くで労働力が戦に駆り出されたため、農業生産力の低下が大きな問題となっていた。このため、各地の戦国大名は優秀な田守を領国に呼び込んで厚遇する反面、領内の田守が他の土地へ移動することを厳しく制限した。このことは田守が廃業する原因となり、一部の有力田守を除いて田守職に就くものは激減した。
江戸時代に入り社会が安定化するとともに、田守が各地で復活するようになる。特に米所といわれた北陸地方では、冷害から稲を守るため各藩は大量の田守を雇い、稲作の安定化に力を入れた。この時期には「農家益」や「農業全書」などの農業技術書が多く出版されたが、田守たちが伝承してきた技術が学問として体系化された時期でもあった。なお、田守職の一部は、植物に対する豊富な知識を生かして本草学へと流れていった。
(以上Wikipediaより抜粋)
本草学というのはつまり当時の生物学にあたる。生命の神秘や面白さをはじめに自分に教えてくれたのは紛れもなく庭にいた虫たちだが、もしかして自分の家系もこの「田守」に由来しているのだとすると、自分に流れる「田守」の血がそうさせたのかなぁ、などと妙に納得したのでした。
蝉
今朝、ロウチビと庭に出て照りつける日差しを避けようと木陰に入ったら、木の上の方からセミの鳴き声が聞こえてきた。セミの声を聞くと夏だなぁと実感すると同時に子供の頃の夏の日が懐かしく思い出される。しかしフロリダはこんなにいろんな虫がウジャウジャいるのにセミはそんなにたくさん鳴いている訳でもない。昔、子供の頃は真夏になると、実家の大きな桜の木の幹にビッシリと夥しい数のクマゼミとアブラゼミが張り付いてワンワンと頭に響く強烈な鳴き声を発していたものだが。
2009年6月5日金曜日
ジョンピーのthesis defense
今、ジョンピーのthesis defense、所謂博士論文発表会に出席してきた。発表前のボスのイントロダクションで初めて知ったが、ジョンピーは始めうちのラボにテクニシャンとして応募してきたらしい。その時の応募書類を見て、コイツはテクニシャンにはoverqualifiedだと思ったんだとか。確かにジョンピーは私が今まで見てきた学生の中でも最もスマートな学生の一人だと思う。彼の洞察力の鋭さにはよく驚かされるし、修士を進化生態学系のラボで取っているためか生物学に対する視野が広い。今日の発表を聞いて改めてそう思った。現在進行中の実験もとてもエキサイティングな結果が出ている。今日のジョンピーは風邪気味で発表中時々しんどそうに見えたが、教室は満席でジョンピーの御両親と兄弟も来ていてなかなか良い雰囲気だった。今日の夜はボスの家で新しい博士誕生に乾杯だ。
2009年6月3日水曜日
蛍の光
さっきロウチビをワゴンに乗せて夕方の散歩に出かけたら、家からすぐのところでウォルターとオリビアとジュリアが集まっていた。すぐにみんなワゴンに集まってきたので順番に一人ずつ乗せて少しの間走らされた。その後ジュリアのうちの方へ歩いていくとジュリアのお父さんのマイクが出てきていたので少しの間立ち話をしていたのだが、その時近くの茂みにホタルが何匹か飛んでいるのを見つけた。この住宅街の近くに水場はないのに珍しいねぇという話をした。ホタルなんて随分久しぶりに見たからかもしれないが、今見たホタルの光はとても明るく見えた。マイクは「また早く釣りかハンティングに行こうぜ」と言っていた。マイクの持っているショットガンは古いから今新しくライフルを買おうと考えているらしい。
発車
ついにUAS-RNAi fly達を発車させた。prescreenなのでとりあえずは10種類13ラインだけだが、7種類のGal4を使ったのでかけ合わせ総数は13x7=91。意外と多くなったのでハエの準備に時間がかかった。さて、どんな結果が出てくることやら。十日後が楽しみだが、今回は2種類でしかDicer-2をかましていないのであんまり期待はできないか。
2009年6月2日火曜日
Fossils
うちの家の庭にある駐車スペースには砂利が敷いてあり、一年ほど前にその敷石の中に貝の化石が混じっていることに気付いた。それ以来、土日のヒマな午後にはロウチビと二人でしゃがみ込んで化石を探すことがよくある。最近はロウチビも化石がどういうものかなんとなく理解しているようで、「あったよー」と言っては化石が入った小石を見せに来て「これパパの化石だから、だいじにとっておきなさいね。」と言う。
小さな巻き貝や二枚貝の跡がついた化石はごろごろ出てくるが、稀に「跡」ではなく生物そのものの化石が見つかることがある。今ままでに二枚貝や、きれいな五放射相称の星形模様が付いた棘皮動物(たぶんウニ)の化石(Fig. 1A and B)、他にも珊瑚や小さいコケムシみたいなものがたくさん付着しているものなんかも見つけた。
この週末もロウチビとシャボン玉を飛ばしながら砂利を漁っていたらなかなかイイのをいくつか見つけた。一つは完全な形の二枚貝の化石(Fig. 2A)、もう一つはヒトデかウニの一部(Fig. 2B)、そしてさらにもう一つはなんだか分からないが小さな円形の跡がビッシリとついているもの。
どこから持ってきた砂利なんだろうか、というかどれくらい古い地層のモノなんだろう。ちなみに今までにDeuterostomeではEchinodermataしか発見しておらずChordataは出てきていない。
小さな巻き貝や二枚貝の跡がついた化石はごろごろ出てくるが、稀に「跡」ではなく生物そのものの化石が見つかることがある。今ままでに二枚貝や、きれいな五放射相称の星形模様が付いた棘皮動物(たぶんウニ)の化石(Fig. 1A and B)、他にも珊瑚や小さいコケムシみたいなものがたくさん付着しているものなんかも見つけた。
この週末もロウチビとシャボン玉を飛ばしながら砂利を漁っていたらなかなかイイのをいくつか見つけた。一つは完全な形の二枚貝の化石(Fig. 2A)、もう一つはヒトデかウニの一部(Fig. 2B)、そしてさらにもう一つはなんだか分からないが小さな円形の跡がビッシリとついているもの。
どこから持ってきた砂利なんだろうか、というかどれくらい古い地層のモノなんだろう。ちなみに今までにDeuterostomeではEchinodermataしか発見しておらずChordataは出てきていない。
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