ということで、そろそろ2024年は終わり。それでは皆さま、良いお年をお迎えください。
2024年12月31日火曜日
大晦日 2024
いつの間にか大晦日で今年もあと数時間になってしまった。この数週間、引っ越しのあれやこれやに忙殺されていたので、大晦日という実感が全くない。今年は3月の初めにULLからコンタクトがあって、5月にオファーをもらってからは、今年中にやらないといけないことがたくさん出てきて、気持ちとしてもスケジュールとしてもえらい余裕がないうちにものすごい勢いで時間が過ぎ去っていった感がある。特に夏以降はかなり出張が多かったし、今数えてみると7つの学会に参加したようだ。どの学会でも多くの知り合いに会って挨拶をすることができたのは良かった。その中でも自分がオーガナイザーとして開催することができた倍数性研究会と生化学会のシンポジウムはやはり印象深い。まぁそんな忙しい中でやり残してしまったことはたくさんあって、来年の早いうちにやってしまわないとなぁと思うのだが、アメリカに行ったら行ったでそれこそ余裕がないだろうから、気合い入れていかないといけませんなぁ。
2024年12月30日月曜日
2024年12月28日土曜日
I-797
昨日の時点でまだ就労許可証のForm I-797が届いておらず、このままクリスマス休暇に入ったら年明けまで来ることはないかも、と気付いてとりあえず大学の弁護士にメールを出してみたら、今朝PDFのコピーがメールで届いていた。え、届いたらすぐにコピーを送ってねって頼んでいたけど、もしかしてもう届いていたのでは?と思ったけど、まぁとりあえずは面接前に届いて良かった。ビザに関してはまだまだ綱渡りのような状態が続く。
2024年12月22日日曜日
DS-160
USCIS(米国移民局)からH-1B就労ビザの請願(I-129)に対する許可がおりたという連絡が来てから今日で5日。いまだに正式な許可証明書(I-797)が届いていないのだけど、とりあえず米国大使館での面接を予約しようと思って手続きを開始。非移民ビザを申請するには、DS-160というオンラインでの事前審査があるのだが、これがかなり厄介で時間がかかった。当然以前にもやっているのだけど、年齢を重ねて雇用とか入国とかの経験が増えるほど、このDS-160で報告しないといけない項目が増えるので大変になるということか。まぁでもなんとかこの関門を通り抜けて、年明け1月2日の朝の面接予約を取ることができた。面接のあとは数日でビザが発行されるはずなので、入国は1月の第2週になるだろうとULLに連絡。新任教員に対するオリエンテーションが1月6日に行われるそうなのだけど、残念ながらそれには間に合いません。早くて1月8日かなぁということで、とりあえずフライトチケットも予約したけど、問題なく事が進むかどうか。
2024年12月20日金曜日
東川
昨日の午後、大家さんに鍵を返して岩倉のアパートの退去を完了。約5年住んだ場所だし、かなり気に入っていた住処なのでここを去るのは結構寂しい。自分の中での一つの時代が終わった感がある。この岩倉という場所は山に囲まれた田舎だけど近所に店が多くあったし交通の便も悪くないし、とても落ち着いた雰囲気で本当に好きだった。それにしても今週はこの家の引っ越しだけでなく、ラボの荷物のパッキングもしていたので、毎日朝から晩まで目まぐるしく動き回ってなんだか記憶が曖昧。まぁ引っ越しの時はいつもそうだけど、最終日のパッキングは大わらわで、いつの間にこんなに物が増えてしまったんだろうという気にさせられた。
昨日は午後にアパートを退去した後、郵便局へ行ってEMSでダンボール4箱をルイジアナへ発送。なんとかかんとかやるべきことを終えてから、たくさんの荷物を詰め込んだ車で京都を出て、昨晩大阪の実家にたどり着いた。少しゆっくりしたいのだけど、この数日間にできていなかったデスクワークがかなりたまってきているので捌いていかないとなぁ。
2024年12月17日火曜日
Approved!
今朝、起きたらULLの弁護士からメールが来ていた。アメリカの移民局に申請していたH-1Bビザが許可されましたと。プレミアムを支払ってから一週間。まぁせっかく3000ドルも支払ったのだから、やっぱりプレミアムの効果テキメンだったのだと信じたい。これでとりあえず一つの関門をクリアなんだけども、パスポートにビザスタンプをもらうためには、今回の許可によって発行されるForm I-797という証明書を持って、日本のアメリカ大使館に行って面接を受けないといけない。現在、大阪の領事館の面接予約待ち時間が10日になっているので、今後のプロセスがスムーズに進んだら1月の第2週に入国できるかどうかというところだろう。少し前まで、来週の月曜日に渡米する予定を組んでいたけど全然あかんかったやん。ということは、岩倉からの退去ももうちょい先でも良かったな。。。
ラストラン
今日は昼過ぎまで家で荷物の整理をしてから、夕方にラボへ行くその前に、自転車の買取りの依頼をしていた百万遍の店へ。オンラインの査定では少し値段が付きそうだったけど、色々と不具合もあり結局値段は付かず引き取ってもらうことになった。ということで、十年前に三島で購入して三島と札幌と京都で毎日のように乗っていたX-Caliberのラストランは、夕日の綺麗な鴨川沿いのいつもの通勤路だった。これまでに乗ったMTBの中で、間違いなく一番走行距離が長い付き合いになった。このところ、毎日のように人だけでなく、色々な馴染みのものとの別れがあって、だんだんと精神的にしんどくなってきている。そういえば十年前、アメリカを去る時にも同じような気持ちになったな。
2024年12月13日金曜日
最後のラボ送別会
昨晩はラボで送別会をしてもらった。ついにまたここを去るときが来たんだなぁということを実感。これまで学生の頃から数えて6か所のラボに所属してきたけど、次からはラボの主宰者になる訳だから、ラボから去るというのはこれが最後になるはずだ。このYラボには、北大と京大を通して約6年半いたことになる。今、ラボには20人くらいいるけど、自分が入った当時のことを考えると、3月に卒業する予定のR以外はメンバーが全員新しく入れ替わっている。大学の研究室は学生がメインなので人の入れ替わりは早い訳だが、面白いことに人が入れ替わってもラボの雰囲気というのはそれほど変わらないものだ。それはやっぱりラボ主宰者であるPIの性格とか考え方といったものの影響が如実に現れるからなんだろう。そして、所属している学生達はメンターとしてのPIとそのラボの環境から色々と影響を受けて育っていく。そんな訳で、送別会の挨拶では、これまでのキャリアで自分がこれまでのメンターから受けてきた影響について話した。その後で皆からの寄せ書きのアルバムをもらったのだが、一人一人が自分に対して持っている印象というのが、まさに自分がこれまでに受けてきた影響を表しているように見えて面白かった。
さぁ、いよいよラボも家も出ていく準備をしなければ。
2024年12月10日火曜日
Premium
なかなかアメリカの就労ビザの許可がおりなくて困っている、ということを10月の末にここでも書いたが、いまだに連絡が来ない。実はもう一人、ULLで1月から採用される予定のカナダ人(IP)がいて、当然 IP も自分と同じH-1Bビザの申請をしているのだけど、やはりまだ許可がおりていないらしい。もしかしたら自分の書類に何か不備があったのかとか、以前の経歴の何かが問題になっているのかもとか案じていたのだけど、IP のビザもまだということは、自分の問題ではなくおそらくH-1Bの審査が全体的に遅れているのだろうと思う。来年トランプになると、特殊技能職のためのH-1Bみたいなビザは特に出にくくなる可能性が高いので、今ちょうどビザ申請が殺到して遅れが出ていることは容易に想像できる。しかしながら、これ以上遅れると我々の1月からの赴任には間に合わない可能性が出てくる。こういう時のために、アメリカのビザ申請プロセスでは、お金を払えばプロセスを早めてくれるプレミアムと呼ばれるオプションがある。このプレミアムについて、申請手続きを代行してくれている大学の弁護士から以前に聞いていたのだが、なんと3000ドル(約45万円)もかかるということだったので、あまり真剣には考えていなかった。しかし12月に入ってもいまだに連絡が来ず、そろそろタイムリミットということで、弁護士に3000ドルの小切手を送付した。なんだかちょっと自分の中でもスイッチが入った感じがある。
2024年12月4日水曜日
Autumn foliage
愛宕山麓のもみじが真っ赤に色付いていたので、京都の紅葉も今週がクライマックスだろうと考えて、今日は一日休みを取って母親と二人で大原へ。今年は夏以降も気温が高かったから紅葉が遅れているようだけど、例年よりも色付きが鮮やかに見えるのは気のせいだろうか。三千院の紅葉は本当に息を呑むような美しさだった。ただ派手に色付いている訳ではなく、苔に覆われた庭に静かに佇む御堂と紅葉のコントラストが絶妙。今までに見た多くの紅葉のなかでも最も印象深かった。三千院を出てから、その近くにある血天井の宝泉院も訪問。ここの書院からは、樹齢七百年と言われる立派な五葉松が広がる絵画のような庭を見ることができるのだが、今日はその背景にもみじが色付いておりこれまた素晴らしかった。京都で過ごす最後の秋に最高の紅葉を見ることができて良かった。
2024年12月1日日曜日
愛宕山
今日はラボハイクということで、ラボの皆さんと一緒に京都の西側にある愛宕山に登ってきた。朝早くに奥嵯峨のさらに奥にある清滝の登山口に集合して、昼過ぎに山頂の愛宕神社に到着。標高は1000mもないそうだけど、久しぶりの登山だったしなかなか大変だった。山頂からの眺めが素晴らしかったし、登山口周辺の紅葉がとても綺麗だった。
2024年11月30日土曜日
TT博士
博多での分子生物学会終了。といっても、こないだの生化学会と同様、色々と忙しくて自分が登壇したシンポジウムに出席しただけだったのだが、シンポジウムの前に会場内を少しぶらぶらしているだけで何人かの知り合いに会うことができた。なかでも久しぶりに北大のTT博士に会えたのは嬉しい驚きだった。Tさんは自分と同時期にアメリカでポスドクをしていた方で、偶然というか何というか、2013年の一時帰国時に東京のアメリカ大使館へビザ申請をしに行った時、待たされている大勢の人の中に一生懸命論文を読んでいる同年代の人がいたので、暇つぶしに声をかけたのが始めの出会いだった。生物系とはいえ分野は少し違うので、もしあの時自分が声をかけていなかったら知り合うことはなかったはず。その後Tさんが北大の農学部でラボを持ったことは知っていたので、2018年に自分が北大に移動した時、突然Tさんを訪問して驚かせてやろうと思ってTさんの名前と研究室の部屋番号をメモしたポストイットを自分のデスクの前に貼ってあったのだが、北大にいた2年間、ポストイットからのプレッシャーを受け続けたにもかかわらず結局訪問する機会がなかったのだった。なんやかんやでこちらの動向もTさんの耳には入っていたようだけど、今回偶然会えて良かった。たぶんこれまでに会って話したのは数回しかないはずなんだけど、なぜか彼とは昔からの知り合いのような不思議な雰囲気がある。今回シンポジウムを見にきてくれて、終了後にはTさんのほうから共同研究の提案をしてくれた。「運命の人やからね」って言ってくれたのは冗談だとしても、本気で提案してくれたのは本当に嬉しい。なんとか形にしたいと思う。
2024年11月29日金曜日
2024年11月25日月曜日
2024年11月24日日曜日
Childhood friends
土曜日、小中学校時代の幼馴染み三人と一緒に大阪のお初天神で食事会。最近日本に帰ってきたOとはついこないだ京都で会ったばかりだけど、大阪で獣医をしているMとは前回の渡米前以来なので20年ぶり、神戸で建築設計をしているSとは中学卒業以来だから、なんと35年ぶりとか。これだけ久しぶりだし全員全く違う分野で仕事をしているので話は尽きないのだけど、やっぱり幼馴染みの連中とはなんでも気兼ねなく話せる感じがある。同郷でお互いの子供時代とか家族のこととかもよく知っているというのは、こういうことなんやなぁと思った。兄弟の感覚に近い。自分はまたアメリカへ行くことになってしまったけど、今後はまた会う機会を見つけていきたいと思った。
2024年11月23日土曜日
美山へ
木曜日、そろそろ日本での残された日数も少なくなってきているなか、もう一度行きたかった場所へ行っておきたいのと、ちょっと休みを取ってリフレッシュしたほうが良いなと思い立ち、休みを取って美山の温泉へ。美山へ向かう途中、山間の集落に「岩戸落葉神社」というどこかで聞いたことのある名前の神社の看板が目に入って、ちょいとその通りをのぞいてみると、見事に色付いた大きな銀杏の木が見えたので行ってみた。調べてみるとやはりちょっと有名な紅葉の名所らしく、静かな神社を覆う銀杏の金色が心に沁みた。夕方に美山に着いて、その後一時間ほど温泉でゆっくりしていたのだけど、他に誰もいなくて完全貸切状態で楽しめた。この温泉施設は大体いつもこんな感じでとても空いているのが良い。日本に帰ってきた時にまた来れれば良いなぁと思いながら、その施設のレストランで鹿肉御膳をいただいた。
2024年11月21日木曜日
北の富士
なんと、北の富士さんが亡くなられたとのニュース。いつになったら大相撲中継の解説に戻ってきてくれるんだろうと思っていのだけど、残念だ。。。残念だけど、今場所もやっぱり相撲は面白い。豊昇龍がずいぶんと安定しているけど、隆の勝の勢いもすごい。ということで、終盤戦どうなることやら。
2024年11月14日木曜日
九州場所
今場所は、自分にとっては日本で観戦できる最後の大相撲。ゆっくり全部見たいのだけど、なかなかそういう訳にもいかず、夜に取組動画をチェック。でもやっぱり相撲って、取り組みまでのあのまったりとした時間があってこそ、だんだんと緊張感のある雰囲気が高まっていくもんよね。ともあれ、今場所は豊昇龍の調子が良くて楽しみ。
九州場所といえば、今年の分子生物学会は福岡での開催。自分は最終日夕方のシンポジウム「倍数性変化の機構とその意義」で登壇する予定。ということで、今日出張申請をしてホテルを探したのだけど、どのホテルもえらい高い。大学の宿泊規定額(¥13,000/1泊)では収まらないので、今回も立替払い実費請求。規定額、もっと上げなあきませんなぁ。
2024年11月11日月曜日
2024年11月9日土曜日
生命の相互扶助論
生化学会で I さんと一緒に企画したシンポジウム「生命の相互扶助論」は、昨日無事終了。会場はそれほど大きくなかったものの、開始時に自分が挨拶を始めた時にはほぼ満員で、後ろの入り口付近には立ち見の方々も見えた。イントロでは、クロポトキン → 無政府共産主義 → ダーウィニズム → 自然選択と適者生存 → 帝国主義と資本主義 → 相互扶助論 → 細胞性粘菌 → 協調性の進化、といった流れでコンセプトを分かりやすく話してみたつもりなのだが、どうだっただろう。今回、スピーカーは自分を含めて4人。自分は始めの挨拶のあと続けてそのままトークをしたので、その後は司会をしながら3人のトークを存分に楽しむことができたし、終了後何人かの方から、とても面白かったという感想を聞けたので、まぁとりあえずは成功と言えるでしょう。それにしてもやっぱり N さんのトークはすごい。あれだけ何度も大きな笑いが起こるサイエンストークは他で見たことがないし、しかも意外と要所要所でかなり教育的に素晴らしいことを言っていた。聞いていて思ったのだけど、N さんのトークは話の内容とかしゃべり方のトーンが前日の飲み会でのそれと全く一緒なのだ。
ともあれ、I さんと始めたこのプロジェクトは、これまで散々ふたりで話してきて、まず初めの研究費も取ってきた訳だけど、こうして公の場で人を集めて議論したことでようやく少し形になり始めた感がある。
2024年11月6日水曜日
Yokohama
今日からパシフィコで開催されている日本生化学会大会に出席するために横浜に来た。今回は3日目(金曜日)の午後に、同じ京大の I さんと一緒にオーガナイザーとして、以下のシンポジウムを開催する予定。I さんと始めた新しい試み、そしてなんと、トリはダートマスの仲間、微生物学の N さん!色々と面白い話が聞けるはずなので、たくさんの人に見に来てもらえればと思う。
生命の相互扶助論:不均一性から生まれる協調性の進化
11月8日(金)13:35~15:35
第12会場(G317)
2024年11月2日土曜日
Why do you come here?
こないだULLでBiologyの新任教員達と話した時、テーブルについてまず聞かれたのが、「Why do you come here?」という質問だった。まぁそりゃそうだろう。当然彼女達も、Kyoto Universityが日本でもトップランクの研究大学であることを知っていて、そこで既にAssociate Professorとして研究グループを持っている人が、なぜわざわざルイジアナに移動して来る必要があるの?ということだ。ということで、その理由をクリアーにするためには、海外の研究者達が知らない日本の大学のシステム、そのシステムで疲弊している日本の研究者達の現状を話す必要があった。この話は、私がアメリカの大学へ行くことを選んだ理由というだけでなく、研究者以外の方々にも日本の大学、特に国立大学における研究について考えてもらえる機会になるかも知れないので、ここでも少し説明しておこうと思う。一応、これは私の経験に基づいた私自身の見解である。
私は、2014年の春にアメリカから帰国して、国立遺伝学研究所で助教として4年、北海道大学で講師として2年、そして京都大学で准教授としておよそ5年、合計10年以上に渡って日本のアカデミアでのキャリアを重ねてきた。これら国立大学の教員としてのポストは全て5年期限の任期付きポストだった。基本的に同じ場所での昇進は無いし、何もせずに次のポストが決まることはないので、失職せずに研究を続けるためには現在の任期が終わる前に公募が出ているポストに応募して、次の新しいポジションを勝ち取る必要があり、最終的には自分の研究室を持つことができる独立ポジション(一般的には教授)が目標となる。国立大学の独立ポジションの公募は相当な競争率になるので、当然高いレベルでの研究活動や多くの研究費獲得といった実績を持っていないと話にならない(ちなみに、公募に見せかけた出来レースのこともあるけど、出来レースの勝者に指名してもらうには、その場所で政治力を持つ“エライ”先生の寵愛を受けていないといけない)。しかし、研究というのは時間がかかるものだ。分野にもよるが、大きな発見や重要なコンセプトを論文として発表しようとすると、たいがい5年以上はかかる。つまり、失職しないためには研究実績を上げて就職活動をしないといけないのだが、5年という短い期間では落ち着いてじっくり研究ができないというジレンマがある。しかも大学教員としては、研究以外にも授業や教育、大学や学部の運営に関わる仕事、さらには学術振興会の審査員とか学術雑誌の編集や査読にも参加しないといけない。あまりにも時間が足りないと感じる。
まぁ、大学で研究者として高いレベルの研究を続けるのが大変なのは、多かれ少なかれどこの国でも同じだと思う。こういうシステムは国によって違うものだし、日本の国立大学は「教授以外は任期付きポストで、昇格には移動が必要なシステム」ということだ。探せば似たようなシステムは他の国にもあるだろう。しかし、日本のこのシステムについて海外の研究者が皆だいたい驚くのは、これらの任期付きポストに大学からスタートアップの資金がほとんど支給されないということだ。独立ポジションであれば一応スタートアップはあるが、それも大した金額ではないことがほとんどだ。「研究費は自分で持ってきて下さい。そして必ず5年で出て行ってください。」という、なかなか非情なシステムだと思う。ちなみに京大では研究のための学内ファンドがいくつかあり、自分もこういうものに支援してもらったが、学内とはいえ全て競争的資金なので、実際には少数の人しかもらうことができない。所属する講座で、部屋付き親方のような形で間借りして研究するうちはスタートアップは必要ないだろう、ということなんだろうが、それだとやはりラボのスペースに問題があったり、学生を取るのに難があったり、教授との上下関係が鬱陶しかったり、と色々な問題がある。大学にとっては、このシステムは金がかからなくて良いだろうと思うかも知れない。しかし長い目で見ると絶対に良くないと自分は考えている。この10年間、日本の大学で研究者としてやってきた経験、周りのたくさんの同世代の研究者と話してきて得た感覚、様々なことをもとに考え合わせた上で思うことだ。このシステムでは、大学と研究者の間に良い関係が生まれない。
アメリカの大学の研究者が、自分のいる大学や所属する学部への愛や感謝、そして同じ学部の教員への賞賛の言葉などを口にしているのを見聞きすることが多いと感じるのは自分だけではないと思う。一方で、日本の大学にいる同世代の研究者から、そのような言葉はまぁほとんど聞いたことがないし、逆に聞こえてくるのは大学や学部への不平不満、年長の教授とかに対する悪口みたいなものがほとんどだ。スタートアップがないので研究費をかき集めてくる必要があり、その申請書や報告書に追われ、一生懸命教育活動をして大学運営にも参加させられ、事務方には毎日のようにどうでも良い細かいことを指摘されてその対応に追われ、そんな中でがんばっていくら素晴らしい研究をしていたとしても期限が来たらあっさり放り出されるわけだから、当然と言えば当然か。
アメリカの大学にはテニュアトラックというシステムがある。テニュアトラックでは、大学が新任教員に対して研究室のスタートアップとして大きな額の投資をする。採用された研究者は、そのスタートアップを元手に研究教育活動を行い、数年後の審査に合格すれば大学教員としての終身在職権、いわゆるテニュアを獲得することができる。新任教員へのスタートアップは大学としては大きな額の出費となるが、将来的にはその初期投資額以上のものを回収できることを見越してやっている。高いレベルの研究と良い教育ができる研究者を採用すれば、その人は外部資金を取ってきてその分の間接経費が大学に入る。高いレベルの研究成果が世に出れば、世界中の学生や研究者がその大学を目指して集まることになり、大学経営をさらに後押しするだろう。まぁだからこそアメリカの大学教員の公募は、世界中の応募者から適切な人物を選ぶために、ものすごく真剣な選考が行われている。研究者の側から見ると、大学からしっかりとした投資をしてもらって、テニュアトラックがうまく行くように周りの教員から色々とサポートをしてもらうという経験を通して育つと、やはりその大学や学部に恩を感じるし帰属意識が高まるだろう。日本の今のシステムでは、多くの任期付き教員達に愛校心や帰属意識どころか、逆に使い捨てにされたという悲しい気持ちと疲弊感が残る。大学への悲しみとか恨みみたいな感情を持って疲弊した大学教員をたくさん生み出してしまうシステムが大学教育、ひいては国にとって良いわけがない。
じゃあどうすれば良いのか?日本もアメリカみたいなテニュアトラックシステムにしたら良いのかというと、必ずしもそうではないだろう。そもそもお金がない今の日本の国立大学にはできないし、なんやかんや続いている講座制は、昔からこの国にあるヒエラルキーを持った村社会で和を重んじる文化に合っているのかも知れない。しかし、文科省はもっと真剣にこういう現状を見て国立大学の経営への支援を考えるべきだと思うし、大学の経営陣ももっと真剣に大学にとって一番大切な研究者達の現状と向き合うべきだと思う。最近、他の先進諸国に比べて日本の大学の研究力が伸び悩んでいることについてのニュースを頻繁に目にするようになったけど、自分はこの10年間肌で感じてきた同世代研究者の疲弊にその原因の一つが見えている。
もう一つ、日本の大学には定年退職制度があることもアメリカの大学へ行こうと思った理由の一つ。アメリカの大学でテニュアを取得すると強制的な定年はなく、リタイアのタイミングは自分の意思に任せられる。自分が今の日本の定年の65歳になる頃に、どれぐらい研究や教育に対するモチベーションとアクティビティが維持されているかはちょっと分からないけど、研究者にとって65歳でのリタイアは早いのではないかと感じるし、そもそも研究者個人個人のキャリアは様々なので、みんな一緒に65歳というのはどう考えてもおかしいだろう。多様なキャリアパスを認めるべきだ。アメリカでは雇用における年齢差別が禁止されているので、そもそも公募の際に年齢を聞くことはない。
ということで、私がアメリカの大学へ行くことを決断した理由の一つは、こういう日本の大学の現状にある。この10年間、自分はそれなりに研究費が取れて自分の研究をすることができたし、なんとかポジションも途切れることなく繋いできたし、たくさんの大切な友人や共同研究者と知り合うことができたけど、安定したポストが得られず落ち着いて研究ができないことに疲れてしまった。まぁ他にも、アメリカの大学の雰囲気が好きだったということもあるし、娘がすでにアメリカの大学に入学したことが決断を後押ししてくれたということもある。今後はアメリカのアカデミアで様々な問題に対峙していくことになる訳だけど、これからも日本の研究者の方々とは関係を続けていきたいし、日本人として今後の日本のアカデミアの動向も気になる。日本とアメリカの両方で大学教員としてのキャリアを経験する人はそれほど多くはないと思うので、今後自分の経験が何か日本の大学に貢献できることがあれば積極的に関わっていきたいと思う。
KUMO
KANPAI London Craft Sake, KUMO Cloudy Nigori
こないだの8月に、ケンブリッジから一時帰国していた卒業生の N が、ロンドンからお祝いに持ち帰ってくれたお酒。ロンドン初のサケブルワリーということで、どんなものなんだろうと思ったら、フルーティなしっかりとしたにごり酒。いろんな料理と合わせて楽しませてもらった。KUMO(雲)という名前は、にごり酒の白いおりをイメージしているのだと思う。
最近は結構、海外でも日本酒の醸造が流行り始めているようだから、アメリカでも地酒を色々と探してみたい。
2024年10月31日木曜日
Visa process
来年1月からの赴任に際して、勤務が始まる少し前に入国して生活のセットアップをするために、12月中旬には入国しようとして準備を始めていたのだが、そういえばまだ就労ビザ(H-1B)の証明書類が届いていない。ビザ申請に必要な情報を大学のほうに提出したのは7月頃だったので、さすがにもう受理されているだろうと思って大学に問い合わせてみたら、まだだと言う。しかも、対応してくれている弁護士によると、ビザプログラムが始まる日より10日以上前にアメリカに入国してはいけないのだそうだ。つまり、入国は12月23日以降でなければならないということになる。知らなかった。。。ということで、12月中旬から入国しようと思って始めていた準備を色々と考え直さなければならなくなってしまった。結構しんどい。一方で、大学から来るはずのファンディングのレターが来なくて焦っていた大学院生の F に、ついに昨日そのレターが届いたらしく、大喜びのメールが送られてきた。まぁまぁそれは良かったのだけど、イランからのもう一人の大学院生 M もビザの申請手続きに関することについて、大学の方から返答が得られていないらしい。さぁ、1月にLafayetteで3人全員揃うのだろうか。
2024年10月25日金曜日
帰宅
無事京都に帰って来ました。昨日、Lafayetteのホテルを出たのは昼前だったので、38時間くらい移動をしていたことになるか。京都はずいぶんと秋らしくなった気がする。とりあえずいつもの近所のスーパーで買い物をして、この日常がなんとも愛おしく感じた。やっぱり岩倉は平和だ。
Horizon 1
アトランタ経由で到着したソウルのインチョン空港のラウンジで約5時間のトランジット中。ATLーICNが15時間超のロングフライトで、断続的に結構寝たもののかなりキツかった。これまでにも何度かこの便に乗っているけど、いつもこんなに長かったんだっけな。で、この15時間ほどの間に、イランの学生 F の入学関連の事務手続きに関して早速大学の方で何らかのミスがあったようで、焦って取り乱した F からメールが何通か来ていた。まぁ、こういう事務手続きが一回でスムーズにいかないのはアメリカの常だと思っているので大して驚きはないのだけど、今回はビザ申請を迅速に済ませないといけないので焦る気持ちは分かる。というか、自分のビザ関連書類もまだ届いていないんだった。
飛行機の中で、「Horizon: An American Saga」というケビンコスナーによる四部作の第一章を鑑賞。3時間の映画だったけど、映像に迫力があってなかなか楽しめた。まぁ以前にも住んでいたのだから今更なんだけど、アメリカってこういうワイルドな人達が切り拓いた国なんだよなぁとしみじみ。
2024年10月23日水曜日
Mission complete
さて、明日の夕方の飛行機でLafayetteを出るので、今晩が今回のアメリカ出張の最後の夜になる。この二週間半、これまたエライいろんなことがあって本当に忘れ得ぬ旅になった。今回のミッションがかなり大変なものになることは分かっていたので結構不安もあったのだけど、計画していた全てのことが何とか無事終わって帰れそうなので、今晩はちょっと心穏やかだ。そういえば、先週ちょうどLafayetteに到着した頃にこちらの大学から連絡があって、うちのラボでのPhDプログラムを志望していた学生が2人とも合格したことが分かった。これは大変喜ばしいことなのだけど、実は二人ともイランの学生なので、現在の中東情勢を考えると、彼らのビザがスムーズに発行されるかどうかという心配は残っている。まぁでもとりあえず、今回の旅でやれることはやった。
2024年10月22日火曜日
ラボスペース
今日もまた大学へ。この夏からここのDepartment of Biologyに加入した新任教員の女性3人と初めて挨拶して、皆んなで一緒に教職員用の食堂へ行ってランチ。自分は1月の春学期からのスタートだけど、採用年度としては彼女達と同期ということになる。ということで、世界のいろんな場所(イギリス、オーストラリア、ニューヨーク、日本)で研究していた4人が何かの縁でここに集まった訳だが、面白いことになぜか初対面という感じがあまりなくリラックスして話せたので、まぁ仲良くやっていけそうな気がする。
その後、学部長のカレンに自分のラボが入る予定の場所に連れて行ってもらった。その場所は、前学部長のポールのラボが入っていた部屋で、ポールが今少しずつ整理をしてくれているということなのだが、まだまだ色んなものが残っていたし、かなり古びた実験室という印象。そろそろ引退を考えているポールが使っていた場所なので古いのは当然なんだけど、まぁアメリカの州立大学の典型的な古い研究棟という感じ。来年ここに来たら、まずはラボの掃除からという感じになるだろうな。
2024年10月21日月曜日
日曜
今日は朝からダウンタウンに出かけたのだけど、日曜の朝ということであまり店は開いておらず、近くの大聖堂とその背後に広がる墓地を訪れた。この辺りの墓地は、遺体が納められた石棺が地上に立ち並ぶNew Orleansスタイルで、なかなかに雰囲気がある。その後、少し郊外にあるVermilionvilleという、この辺りに入植したフランス系移民の人達の昔の町を再現した場所を見学。昼はまだまだ暑いけど、街はすでにハロウィーンの雰囲気に包まれている。
2024年10月20日日曜日
2024年10月18日金曜日
LFT
先週ミネアポリスを出てから数日間のシークレットミッションを完遂して、今週からいよいよルイジアナ州のLafayetteに入った。ルイジアナ大学での勤務が始まるのは来年1月なので、実際この町に引っ越してくるのは12月下旬になる予定。ということで今回の訪問では、大学で自分の研究室が入る予定のラボスペースの下見をしたり、他の先生と授業のことについて話したり、あとは住むためのアパートを探したりとか、結構やらないといけないことは多い。Lafayetteを訪れるのは、今年4月のインタビューのとき以来2回目なのだけど、以前に長いこと住んでいたTallahasseeと雰囲気が似ている南部の町だからか、車で走っているうち案外すぐに慣れてきた感じがする。
2024年10月8日火曜日
DBC Symposium
今朝から始まったミネソタ大学のDevelopmental Biology Symposiumに出席。今年は、Drosophila TGF-betaの研究で有名なDr. MOのリタイア記念ということで、スピーカーは結構ショウジョウバエの人が多くて、今日だけでも4人のビッグショットによるトークがあった。去年も2回ここに来てセミナーをさせてもらったりしたおかげで、意外と出席者に知り合いが多くいて、休憩時間には何人かに声をかけてもらった。
2024年10月7日月曜日
2024年10月5日土曜日
第2回!
今週、月火水の3日間、遺伝研で「倍数性+サイズ生物学ジョイント研究会」を開催した。去年の9月に第1回倍数性研究会を開催したので今回が第2回ということになるのだけど、今回は山口のHさんが主催しているサイズ生物学研究会との共同開催ということになり、スピーカーの数が倍になって全体の参加者も46人に増えた。この人数で3日間となると、これはもう結構ちゃんとした学会の雰囲気がある。自分としてもこの3日間でかなり多くの参加者と交流することができたし、2日目夜のポスターセッションでは軽食とアルコールドリンクを提供したこともあり、かなり盛り上がっていたように見えた。開会の挨拶でも話したのだけど、倍数性とサイズというトピックは密接に関わっていることが多いにもかかわらず、これまであまり交わることのなかった研究者達が交流することで、新しいものが生まれるきっかけを作ることが出来たのではないかと思う。この研究会の事の起こりは5年ほど前、自分が北大にいた頃、ある日急に思い立って変革領域の申請についてUさんに相談しに行ったのが始まりだ。その後すぐに今のコアメンバーに声をかけていったのだけど、5年経ってこんな立派な会に成長するとは思いもよらなかったし、もしかしたらこの10年間日本で自分がやってきたものの中で、学術会への功績としては最も大きなものの一つなのではないかと思ったりもする。そんな訳で、来年から自分が代表としてこの会を仕切ることはなくなるけど、今後も続いていってくれると嬉しい。
2024年9月28日土曜日
倍数性+サイズ生物学
2024年9月25日水曜日
2/100
少し前から学部生達がいよいよDf linesを使ったスクリーニングを始めている。先週、出張から帰ってきてどんな具合か見てみたら、もう結構な数の掛け合わせで次世代のハエが出てきていた。ということで、複眼の表現型解析を進めているわけなんだけども、元々の症状というか標準型としている複眼の形態に変化が生じているようなハエはまだ出てきていないらしい。すでに50ライン以上は見ていたようなので、まだ一つも出てきていないのは良いような気もするし、全く出ないかもという不安も出てくる。そんな訳で、やっぱり自分でもちょっと見てみようと思って見始めたら、はじめの100ラインほどの中に、複眼が少しだけ小さくなっているものと、逆に少し大きくなっているものを見つけた。2/100はまぁまぁ良い線な気がする。全く出てこなかったら当然失敗だし、あまりたくさん出てきてもそれはそれでスクリーニングにならないので、1st screeningにおける当たりの確率はかなり重要だ。それは良いのだけど、学部生はこれらのフェノタイプを見逃していたということなので、ちょっと話を聞いてみたら、複眼全体の大きさには気を付けていなかったということだったけど、逆にブツブツの大きさとか細かいところを一生懸命見ていたようだ。もう少し見分け方を指導しないといけないかな。
2024年9月23日月曜日
JDRC
仙台でのJDRCが終わり、木曜日の夜に無事京都に帰ってきた。今回の札幌ー仙台出張は一週間以上出ていたので、久しぶりにゆっくりできる週末。札幌が結構涼しかったから、もうすでに秋になった気分で帰ってきたら京都はまだ猛暑だったので驚いたけど、昨日から京都も急に涼しくなったね。
JDRCは日本の多くのショウジョウバエ研究者が集う会ということで、アメリカへ行く前にたくさんの知り合いに会って挨拶することができて良かった。レセプションパーティで一言挨拶をさせてもらったときにも話したけど、自分がJDRCに初めて参加したのは日本に帰ってきた年なので、ちょうど10年前に金沢で開催された回だった。日本のショウジョウバエコミュニティは皆さんとても仲が良くて、すぐに受け入れてもらえた感じがあって、この10年間ここで本当に多くの友人を作ることができたので感謝の気持ちはとても大きい。ということで、アメリカに行ってからもまた機会があれば参加させてもらえればと思う。
で、来週はいよいよ遺伝研で倍数性研究会。
2024年9月17日火曜日
2024年9月16日月曜日
小樽
今日は用務が入っていない日だったので、午後からふらっと電車に乗って小樽へ。札幌にいた頃、小樽へ行くときはいつも車だったので、電車から海を眺めながら行くのはちょっと新鮮だった。せっかくだから小樽の美味い寿司を食べようと思って、まずは寿司屋通りへ。そのあと、観光客がたくさん歩いている運河の辺りをぶらぶらしてから、札幌にいた頃に時々行っていたカフェに入って少し仕事をした。
夜、札幌に帰ってきて、晩御飯はこれまたよく行っていた北大病院前の中華料理屋へ。なんか、自分の馴染みの場所を確認するような感じだけど、今回札幌でやりたかったことはだいたいできたかな。明日、札幌を出て仙台へ向かいます。
2024年9月14日土曜日
テレビ塔
昨日は遺制研のMS博士の研究室でセミナーに参加して、今日は理学部のほうでSI博士と論文の内容についてディスカッション。昨日も今日も、夜は札幌ならではのお店に連れて行ってもらって、北海道の幸を楽しみながら研究者達と色々な話をすることができた。研究の話は楽しいのだけど、研究費とかポジションとか論文とか学生の指導とか、若手の研究者は本当にみんな同じように闘っているなぁと思った。まぁでもみんな、やっぱり研究が好きなのよね。
今晩のお店はすすきのだったのだけど、涼しくて気持ちが良いので札駅北側のホテルまで歩いて帰ってきた。
2024年9月13日金曜日
2024年9月11日水曜日
C.C.国際シンポ
先週は色々とイベントがあってバタバタと過ぎ去った感じ。水木金は、御所の向こう側にあるホテルで細胞競合の国際シンポジウムとその後の領域班会議。朝から晩までトークとソーシャルイベントがあり、楽しかったけどなかなか疲れた。この細胞競合の国際シンポは、前身の新学術領域のときから、京都、マドリッド、札幌、ロンドンと毎回参加させてもらっていたし、ポスドクの時からずっと細胞競合の研究をしていた自分にとって、海外からのスピーカーもよく知っている方がほとんど。久しぶりに会った多くの方々から、ルイジアナで独立することについてお祝いの言葉をもらった。で、今回は初めてポスドクの時の元ボスのWMも呼ばれていたのだが、日本でWMと会うのは初めてだったし、今回はYさんがオーガナイザーの一人でもあり、自分とこの二人が一堂に会するのは随分と久しぶりだった。そんな訳で、トークの後の質疑応答でWMとYさんがディスカッションしているのを見ていると、色々と思い出すことがあった。
2024年9月2日月曜日
9月
なんと、今日からもう9月ですか。そういえば先週あたりから、雨の影響もあったと思うけど、少し前までのあのひどい暑さが少し和らいでいたし、うるさく鳴いていたクマゼミの声がいつの間にか聞こえなくなっていたことを数日前に気付いていた。夏が終わるんやねぇ。自分にとっては当分の間、これが京都で過ごす最後の夏になるだろうから、終わっていく夏を感じるといつも以上に少し感傷的になる。そんな先週は、久しぶりにカレンダーにあまり予定が入っていなかったのだけど、かなり論文執筆に集中していたからか、あっという間に過ぎ去った感じがする。いよいよ焦燥感が高まってくるなか、今週後半は京都で開催される細胞競合の国際シンポジウムに出席して、来週半ばからは札幌へ行く予定。
2024年9月1日日曜日
2024年8月24日土曜日
Yon-Ten
今日は、午後にまた高校生達の研究室訪問があった。今回は大阪の某有名進学女子校から、10名の高校一年生。前回と同じく、フライルームで簡単に研究内容を紹介しながら、GFPで光るハエ達を一人ずつ順番に蛍光実体顕微鏡で観察。en-Gal4>UAS-GFPで体がシマシマに光っている幼虫を見て、誰かが「おぉ〜阪神タイガースみたいや」。で、その後に続いて見た子達がみんな「ホンマや阪神や〜」って言うのを見て、みんな大阪の子なんやなぁと思った。その後、セミナールームで今回も研究者としてのキャリアパスについての話をした。やはり医学部を目指している子が多いようで、医学研究のことや日本とアメリカの違いについて熱心に質問してくれた。最近こうして高校生とか大学の学部生とかにこういう話をしていると、海外へ行くことに興味を持っている子は結構多いように見えるんやけどね。
2024年8月23日金曜日
2024年8月14日水曜日
夏季休暇
今日明日は大学の夏季休暇なのだけど、午後にラボへ行くと、普段休日にはラボに出てこない学生がいたのでヘンだなと思った。よく見るとYラボの学生達はみんな来ている。なるほどね、大学の夏季休暇であってもYラボとしては休日ではないということなのだと気付いた。なんとも会社的。決められたカレンダー通りにラボに来る学生達、というかもう少し正確にいうと、自分の意思ではなく決められた勤務日にしか来ないということに対して、なんとも言えないもどかしさというか違和感を感じる。数日前にも似たようなことを書いたけど、これは、休日もラボに出てきて実験をしろとかいう意味では全くなくて、研究に没頭するともっともっと実験を進めたくなってしまうものなんだけどなぁ、ということ。まぁ、好きにしてくれたらエエねんけど、と思いながら今日はカモカフェへ行って執筆。外はとんでもない暑さだったけど、今日はだいぶ執筆モードに入ることができた。
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